この演奏の3つのポイント
- 世界最高峰のピアニスト、キーシンが22年振りの日本での協奏曲
- アシュケナージの指揮で盟友キーシンが弾くショパンのピアノ協奏曲
- ラフマニノフの交響曲では濃厚で壮大で
NHK音楽祭2011の第4夜にエフゲニー・キーシン登場
日本の秋の名物であるNHK音楽祭。NHK交響楽団だけではなく、世界のトップレベルのオーケストラと指揮者を招いて行われる連日のコンサート。2011年は「華麗なるピアニストたちの競演」というタイトルで、ピアノ協奏曲をメインにおいた音楽祭であった。10〜11月の1ヶ月間でNHKホールを舞台に5つの演奏会が行われた。
注目は第4夜。現代最高のピアニストの1人であるエフゲニー・キーシンがソリストを務めただけでなく、指揮者がキーシンと良好な関係、盟友とも言うべきヴラディーミル・アシュケナージ。オーケストラは彼が首席指揮者を務めているオーストラリアのシドニー交響楽団であった。
1971年生まれのキーシンと1937年生まれのアシュケナージは、親子ほど年が離れているが、「友人」として親しく交流をし、音楽性にも相通じるところがある。ピアノ協奏曲の協演も何度か重ねているが、2008年にアシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団とのプロコフィエフのピアノ協奏曲の録音(FC2ブログ)は、アメリカのグラミー賞2009ベストソリスト賞を受賞しているほど高い評価。スクリャービン、メトネルのアルバムで2005年の最優秀器楽部門を受賞した以来のキーシン2度目のグラミー賞だが、ピアノ協奏曲では初である。これまで様々な指揮者やオーケストラとピアノ協奏曲の録音をしており、それも高い評価を得ていたが、アシュケナージという盟友とのコンビでより一層素晴らしい演奏になったのだろう。今回のコンサートには否が応でも期待が高まる。
プログラムはショパンのピアノ協奏曲第1番、後半がラフマニノフの交響曲第2番。
インタビューでのエフゲニー・キーシンは謙虚
キーシンは2011年で40歳を迎えたが、世界最高峰にいながらも、音楽への姿勢は極めて低姿勢である。NHKのインタビューでもこう述べていた。
私たちの役割は作曲家が作品に吹き込んだ心をそのまま聴衆の皆さんにお伝えすることです。それはとても難しいことで偉大な作曲家の作品は非常にレベルが高く、そこに達することができるのは本当に偉大な演奏家だけだと思います。私たちの課題はその高いレベルにできる限り近づくことです。そのために私たちは日々懸命に練習しなければなりません。
私の好みはとても広くて、何でもかじってみたいです。幸いなことにピアノにはたくさんの曲があるので、長生きして演奏してみたい曲を自分の思うままに弾いていきたいです。
目標は新しい作品を勉強して私のささやかな能力の限りを尽くして、作曲家が書いた作品のレベルに極限まで近づくことです。そして作曲家の心を最良の形で皆さんにお伝えするよう努めていきます。そうすることで私の演奏能力も自然と磨かれていくのではと思います。
エフゲニー・キーシン, NHK音楽祭2011でのインタビュー
世界最高峰のピアニストなのに、何て謙虚な姿勢なんだろう。この日も朝から聴衆が入場するギリギリまで練習をしていたらしい。神童と呼ばれた少年時代から、キーシンの演奏録音は残っているが、ショパンのピアノ協奏曲第1番は13歳ぐらいでモスクワで演奏したレコーディング(FC2ブログ)があり、その時点でもテクニック、詩情豊かさなど完成された領域にいたのに、40歳を迎えてもまだまだ進化し続ける姿、自分も見習いたい。
ショパンのピアノ協奏曲第1番
しんみりとしたオーケストラのハーモニーから始まったピアノ協奏曲第1番。アシュケナージも自身で弾き振りをしたこともある(FC2ブログ)作品だが、キーシンのピアノと馬が合うようなオーケストラの響きを生み出していた。
さて肝心なキーシンのピアノと言うと、ため息が出るほど素晴らしい。特に弱音がすごい。ピアノでこんなに小さい音を出せるのかというぐらい、聴く者の鳥肌を立たせるくらいにそっと弾く。キーシンの身体の動きを見ていると、一つ一つの動きに意味があるんだと思う。身体を揺らしたり、鍵盤に近付いたり遠ざかったり、指を立ててメロディをくっきり出したり。まるでアスリートに近い挙動だろう。口をパクパク動かしながら作品に没頭して弾いている感じがする。スタッカートでもまるで手が弾むようで、プロのピアニストの中でもここまで高い技術力を持つピアニストは他にいないのではないかと思うほどだ。
ショパンのピアノ協奏曲は、ピアニストが上手ければ名演になるのだが、アシュケナージとシドニー響の寄り添うようなサポートを得て、キーシンも実に演奏しやすそうだった。
演奏後に聴衆から温かい拍手が贈られた。海外のコンサートだったら「ブラボー」の大絶賛であっただろうが、やはり日本のお客さんは物静かだとつくづく思う。
アンコールにスケルツォ第2番と子犬のワルツ
鳴り止まない拍手に応じてキーシンがアンコールで弾いたのは、ショパンのスケルツォ第2番。スタッカートが弾むようで、これこそ最高峰のショパンを聴ける幸せ。指揮のアシュケナージは舞台袖に戻っていたが、シドニー響のメンバーは登壇したままなので、キーシンが弾くスケルツォを間近で観ていて、メンバーの目も思わず釘付けになっていたようだ。
感心したのは演奏後。前を向いて聴衆のほうに頭を下げたキーシンだが、次に後ろを振り返ってシドニー響のメンバーたちにも頭を下げたのだ。協奏曲でサポートしてくれてありがとうという意味と、聴いてくれてありがとうという両面の意思表示だろうか。本当に謙虚だ。
さらに拍手に応じてアンコールをもう1曲。座るや否やいきなり弾き出したのは、ショパンの子犬のワルツ。軽やかさ、ロマンティックさ、そして高い技巧と、キーシンの魅力が満載だった。
ラフマニノフの交響曲第2番
プログラム後半は、ラフマニノフの交響曲第2番。アシュケナージがピアニストとしても得意とする作曲家で、これまでラフマニノフのピアノ作品、室内楽、管弦楽など数々の演奏、録音を行ってきた。交響曲についても1980年代にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して全曲録音し、高い評価を得ている。シドニー響とも交響曲全集を完成させている。また、解説の奥田佳道さんによると、このラフマニノフの交響曲第2番を2007年のシドニー交響楽団とのコンサートで演奏したことで、2009年のシドニー響の首席指揮者就任につながったということで、アシュケナージとしても思い入れのある作品だ。
この曲についてインタビューでこのように語っている。
これはラフマニノフの魅力が凝縮され最もわかりやすく書かれた交響曲です。そう説明するのが精一杯です。この曲は長すぎるという人もいますが、私はそうは思いません。とても興味深いことにラフマニノフは作曲家として自信が持てない人でした。「好きなように短くしてくださいね」といつも指揮者に言っていました。ホロヴィッツから聞いたのですが、彼はこう言ったそうです。「私のソナタは自由にカットしてください。私もあれで良いのか自信がないんです。」
とても謙虚な人物だったのです。偉大な作曲家なのに何といじらしいのでしょう。私はこの交響曲が長すぎるとは思いません。どの瞬間もどの音符も堪能できます。第1楽章のクライマックスは驚嘆に値すると思いますし第2楽章のフガートも見事です。彼がフーガ風に書くことはとても珍しく、それは大変素晴らしいものです。スケルツォと呼ばれる中間部に入れたことで充実感が生まれました。第3楽章に至っては説明するまでもありません。クラリネットのソロと最後でヴァイオリンが同じ旋律を奏でる部分が完璧な安らぎと穏やかさを与えてくれます。大変ユニークで特別な楽曲だと思います。ほとばしるような素晴らしい名作としか言いようがありません。
ヴラディーミル・アシュケナージ, NHK音楽祭2011でのインタビュー
第1楽章冒頭から研ぎ澄まされた美しさ。第3楽章ではクラリネットのソロのうまさが際立たった。音だけで聴くと分からなかったが、映像で見てみると第1クラリネットの奏者ばかり演奏していることに気付いた。長いソロでクラリネット冥利の楽章だ。アシュケナージとシドニー響が生み出すサウンドは濃厚だが、高音の輪郭がはっきりと聴こえる。アシュケナージはピアノでもメロディラインをくっきりとさせるいわゆるロシアン・ピアニズムの特徴があるが、指揮でもこうした特徴が共通していることに気付いた。第3楽章が終わると満足そうな笑みを浮かべアシュケナージはすぐに第4楽章へと入る。第4楽章ではオーケストラの各楽器のパワーと推進力がすさまじく、シドニー響ってこんなポテンシャルを持っているのか、と驚いた。
まとめ
現代最高のピアニスト、エフゲニー・キーシンと気心に知れた盟友ヴラディーミル・アシュケナージとの指揮で聴くショパンのピアノ協奏曲は絶品。映像作品がリリースされれば海外のファンも喜ぶと思うのだが。後半のラフマニノフの交響曲も、アシュケナージがこの作品の魅力を伝えてシドニー響から最高のサウンドを引き出している。この日、生で聴けた方がうらやましい。
オススメ度
ピアノ:エフゲニー・キーシン
指揮:ヴラディーミル・アシュケナージ
シドニー交響楽団
演奏:2011年11月10日, NHKホール(ライヴ)
試聴
特に無し。
受賞
特に無し。
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