指揮者セルジュ・チェリビダッケは意外にもベートーヴェンの第九をほとんど指揮しませんでした。

その理由について、書籍でこのように書かれています。

「第1楽章、素晴らしい! 第2楽章も第3楽章も素晴らしい! それなのに第4楽章ときたら、まるでサラダだ!」

アルファベータブックス『チェリビダッケ音楽の現象学』
石原 良哉 著 第二部 音楽は、君自身だ—チェリビダッケの軌跡

チェリビダッケがサラダと表現するのは色々なものが無秩序に混ざり合った状態。同じく「サラダ」と表現するマーラーの作品は歌曲を除いてほとんど演奏しませんでした。

チェリビダッケが第九を指揮しない理由として、「サラダ」とは別にヴィルヘルム・フルトヴェングラーの影響があると考察するのは石原氏。何度も第九で奇跡の名演をおこなってきたこの大巨匠を間近で見てきたチェリビダッケが敬遠したとも考えられるのです。

チェリビダッケの第九の録音はミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 (1989年)とイタリアのRAIトリノ交響楽団 (1958年)のものがあるぐらい。

石原氏によればミュンヘンの本拠地ガスタイクで第九を指揮したのは1989年3月15、16、17、19日だけとのこと。このチェリビダッケ唯一のミュンヘンでの第九が3月17日にライヴ録音されたのがワーナー・レーベルからリリースされています。

第1楽章。冒頭の第1主題の「序」では第2ヴァイオリン、チェロのトレモロにホルンが静かに合わさり、第1ヴァイオリンが主題の断片を現していくのですが、ミュンヘンフィルの透き通った響きで心が洗われるようです。トラックの0分35秒あたりの第17小節から始まるフォルテッシモの第1主題の提示では、楽譜では休符はないですが、チェリビダッケは2音ずつ下降するかのように捉えています。第35小節のディミヌエンドはふっと消え入るかのようで第36小節のピアニッシモのトレモロに移行し、再び冒頭に似た「序と第1主題の確保」に入ります。

チェリビダッケの指示で他の楽器をよく聴くミュンヘンフィル。55小節からの4弦による「タタタターン」と木管&ホルンによる「タタタターン」の掛け合いをオケがよく聴いてスフォルツァンドでしっかりと音を合わせてきます。提示部第2主題は穏やかに推移していき、フォルテッシモでも柔らかくて圧倒させないミュンヘンフィルのハーモニー。フーガ的な弦による掛け合いもよく練られています。

展開部や再現部 (トラックの9:34〜)に移ってもどこか天国的な美しさがします。特に再現部ではトゥッティでフォルテッシモが付く最大級のエネルギーを発揮するところですが、チェリビダッケはティンパニを控え目にさせ弦によって輪郭を描いています。かつてフルトヴェングラーがティンパニを強打させてカオスの世界を作り出したのとは全く違う世界線をチェリビダッケは生み出しています。

そしてピアノのドルチェに変わる練習番号L (トラックの10:46から)の再現部の推移ではフルートとオーボエによる可憐な二重奏。

極遅から高速へと変幻自在な第2楽章

小節の第1音にアクセントを付けて演奏される第2楽章。molto vivace の楽章ですが、チェリビダッケはテンポを落として手探りするかのように様子を見ながら進んで行きます。これぞチェリビダッケ独特のテンポ (チェリビダッケの言葉でいうと「スピード」)です。そこから表現されるのは上から下へ流れるような川のような音楽ではなく、地面の下から地上に湧き立つ泉のようなイメージ。

トラック0:38からの練習番号A (第57小節)からはフォルテッシモ、61小節からフォルテに変わり、スフォルツァンドの指示などはなく全体としては平面的な音ですが、チェリビダッケはここでA音 (ラ)に強烈なアクセントを付けて演奏させています。スケルツォの再現部でも画一的にせずにアーティキュレーションを付けた独自の解釈。

スケルツォ150小節と399小節に繰り返し記号がありますが、チェリビダッケはこれを省略。

スケルツォをゆっくりのテンポで演奏しラストをクレッシェンドとともにアッチェレランドを掛けて突入する415小節からのトリオ (トラック4:50〜)。プレストの指示通り入ると文字通り爽快な速さに切り替わります。

透き通る第3楽章、異色の第4楽章

第3楽章は透き通った響きでミュンヘンフィルの柔らかいハーモニーが天国的な世界を生み出しています。続く第4楽章はティンパニがトレモロで続く四分音符と付点二分音符の奏打を分けているのは強拍と弱拍を分けるチェリビダッケの指示でしょう。チェリビダッケが「サラダ」と表現した楽章ですが、合唱が加わる後半を聴くとチェリビダッケはごちゃごちゃした無秩序のものではなく、秩序立てて各パートの線を明確に描き分けています。高らかに歌われるのではなく、ゆったりとしたテンポで大きな波のように押し寄せてくるのはチェリビダッケ独特の歓喜の歌。

1987年4月のミュンヘンフィルとの交響曲第3番「英雄」のライヴ録音も超が付く個性的な演奏でしたが、この第九もチェリならではの世界観に浸れます。

オススメ度

評価 :3/5。

ソプラノ: ヘレン・ドーナト
アルト: ドリス・ゾッフェル
テノール: ジークフリート・イェルザレム
バス: ペーター・リカ
指揮:セルジュ・チェリビダッケ
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
録音:1989年3月17日, フィルハーモニー・イン・ガスタイク (ライヴ)

Apple Music で試聴可能。

特に無し。

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