このアルバムの3つのポイント
- カラヤン&ベルリンフィル2回目のマーラー交響曲第9番の録音
- ライヴならではの血が通った表現
- 日本のレコード・アカデミー賞と英国グラモフォン賞を受賞
カラヤンの2回目のマーラー第9番の録音
ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮したマーラーの交響曲第9番の録音は2種類あって、どちらもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したもので、最初が1979年から80年のセッション録音。そして2回目が1982年のライヴ録音です。どちらもベルリンフィルの本拠地、フィルハーモニーでの録音です。1つ前の記事で1回目のセッション録音を紹介しました。こちらはカラヤンらしからぬ濃厚さがあり、ポリフォニーをはっきりと引き出してマーラーの複雑な音楽をシンフォニックに聴かせてくれました。
一方で2回目の録音は、1982年9月のベルリン芸術週間でのライヴ録音。ベルリン・フィルハーモニーでの演奏ですが、レナード・バーンスタインも1979年10月のベルリン芸術週間でマーラー交響曲第9番を演奏していますし、クラウディオ・アバドも1999年9月のベルリン芸術週間でマーラーの交響曲第9番を演奏しライヴ録音しています。芸術週間とマーラー交響曲第9番の関連も面白いですね。
ライヴならではの血が通った表現
カラヤンには絶大な人気を博したため、アンチの方も多い印象ですが、10月7日にご逝去された噺家の柳家小三治さんは「スタイルは美しいが血の通った人間を感じない」とか「本音で歌えよって思いますね」など、カラヤンに対しての厳しい意見を語っていました。
【日経新聞】春秋 柳家小三治 (2021年10月12日)
私はむしろ逆の考えで、カラヤンが指揮するとカラヤンらしさが出てしまって、どの作曲家もカラヤンの色に染まってしまってしまう印象を受けています。それが良い方向に出ることもあれば、強すぎると感じることもありますが。
ただ、このマーラーのライヴ録音を聴くと、血が通っていないなんて全く思いません。より人間味が出ていて温かみを感じます。1979年から80年のセッション録音ではカラヤンらしからぬ濃厚な表現でしたが、この再録音では表現がより自然体になっています。
旧録では演奏時間が第1楽章が29:07、第2楽章16:44、第3楽章が13:17、第4楽章が26:49で、トータル85分57秒でしたが、再録では、第1楽章が28:10、第2楽章16:38、第3楽章12:45、第4楽章26:49でトータル84分37秒。3年弱しか経っていないのでカラヤンの解釈は大きくは変わってはいませんが、ベルリンフィルもこの曲を手の内化したように滑らかに演奏しています。
聴き比べると、冒頭から違いがあります。旧録では、そっと優しく始まる弦の旋律が、再録ではまるで諦めを感じるように、物悲しく始まるのです。
こだわりを感じるのはトラックの分け方。CDが2枚に分かれて収録されていますが、曲想が変わるごとにトラック分けされていて第1楽章が8トラック、第2楽章が7トラック、第3楽章が7トラック、第4楽章が8トラックの合計30トラックに分かれています。長大な作品の中の様々な変化をトラック分けすることで明確化しているように思えます。
ライヴ演奏なので特に第1楽章ではキズがあるところもあるベルリンフィルの演奏ですが、それを凌駕するかのような名演になっています。
聴きどころは第4楽章。旧録では健康的で演奏が立派すぎて「死」のテーマがあまり感じられないという感想を持ちましたが、この再録では、劇的に良くなっています。ヴァイオリンのソロも堂々としていた旧録に対して今度は今にも途切れそうな儚さすら感じます。
何度も聴いて耳が慣れてしまったこの曲ですが、このカラヤン盤を聴いて思わず目頭が熱くなってしまいました。
まとめ
カラヤンとベルリンフィルの再録音で聴く名曲の名演。マーラーの第9番にはカルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団(1976年)などの名盤が多々ありますが、このカラヤン盤もオススメに入れたいアルバムです。
オススメ度
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1982年9月, ベルリン・フィルハーモニー(ライヴ)
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試聴
iTunesで試聴可能。
受賞
1984年度の日本のレコード・アカデミー賞「交響曲部門」と英国グラモフォン賞の「Orchestral」と「Record of the Year」を受賞。
コメント数:1
マーラーの曲はたくさんの要素が入っていて、それらのバランスによって表情がガラッと変わってきますが、今回のカラヤン・ベルリンフィルのライブ盤でも、いろいろな発見や気づきがありました。ただそれも 3楽章まで。4楽章では、もうそういった細かいことは忘れてこの世界に引き込まれていました。カラヤンのアダージョ、恐るべし。