このアルバムの3つのポイント

ゲルギエフ/バイロイト祝祭管 タンホイザー
ゲルギエフ/バイロイト祝祭管 タンホイザー
  • ヴァレリー・ゲルギエフがついにバイロイトデビュー
  • バイロイト音楽祭2019で大好評だった「タンホイザー」
  • トビアス・クラッツァーによる大胆で面白い演出

コロナ禍で、クラシック音楽の夏の風物詩も影響を受けた。6月のべルリンフィルのヴァルトビューネ野外コンサートはグスターボ・ドゥダメルが指揮する予定だったが、キャンセルになってしまった(詳細はこちら)。また、7〜8月のバイロイト音楽祭は2021年に延期。一方で今年100周年のザルツブルク音楽祭は公演が許可されたようで、予定どおり8月に行われている。

さて、昨年のバイロイト音楽祭2019で目玉となったのは、「タンホイザー」。ロシアの名指揮者ヴァレリー・ゲルギエフがついにバイロイト音楽祭デビューとして注目された演奏である。その映像作品が今年5月にリリースされてる。私も「ゲルギエフがヴァーグナーを指揮するなんて大事件だ」と思って早速Blu-ray版を購入し、どんな演奏になるのだろうかと期待を込め、夜な夜な観た。全3幕で3時間近くもあるので、1日では見きれなくて2日に分けて観た。

以前紹介した「シモン・ボッカネグラ」で知ったのだが、バイロイト音楽祭の初日、ゲルギエフは母の危篤情報を受け、急遽親元に帰ることとなった。タンホイザーの初演の指揮はクリスティアン・ティーレマンが代役を果たしたそうだ。そして母の最期を見届けたゲルギエフはバイロイトに戻り、タンホイザーの残りの公演を指揮した。なので、この映像は初日ではなく2回目以降の公演なのだが、演奏を聴く限りはゲルギエフの指揮はいつもどおりのようだ。

この「タンホイザー」を観て、何よりも驚かされたのが演出トビアス・クラッツァーのものすごく大胆な演出と脚色。私自身、「タンホイザー」は何度もCDで聴いていたのだが、映像で観るのは初めてだったので、オーソドックスなやつを観てみたいと思っていたのだが、この演奏は真逆で、ものすごくパンチが効いたものであった。

まず、序曲からしてぶっ飛んでいる。ドイツらしい車道を1台のバンが走っている。運転しているのは、胸元バックリでノースリーブのお色気たっぷりの黒い衣装を着たヴェーヌス。この役を務めたエレナ・ツィトコーワ(Elna Zhidkova)は、本番の2週間前に急遽代役としてヴェーヌスをやることになったらしいのだが、そんな急ピッチで仕上げてきたとは思えないほど板についている。助手席にはピエロのメイクをしたタンホイザーが、そして後部座席には障害のある小人と黒人の女装したオネエ。彼らはアナーキストたちで、快楽と自由を求めて好き勝手やっているようだ。だいぶ社会的マイノリティに配慮したキャスティングのようだ。

「タンホイザー」の序曲でバンに乗って走る演出。画面左手がステファン・グールド、右手がエレナ・ツィトコーワ。©Deutsche Grammophon

そして腹を空かせたので、一行はバンでバーガーキングのドライブスルーに行き、ガソリンが無くなったので他の車からガソリンを盗んだり、偽のクレジットカードを使って食料を調達したりと悪さを繰り返す。追いかけてきた警備員をバンでひき殺して逃げる。ここが異界ヴェーヌスベルクで肉欲の世界に溺れていたところを現代の世界に移し替えたものだろう。序曲のクライマックスへ差し掛かると、タンホイザーは目を閉じ、自分を取り戻しつつあった。ゲルギエフの指揮も壇上のスリリングさを増幅させるように、緩急を付けてドラマティックな演奏を聴かせる。ここで序曲が終了し、幕が下りる。

幕が上がり第1幕の始まり。拠点に戻ってハンバーガーを頬張る悪友たちを尻目に、タンホイザーは輪に入らない。再びヴェーヌスの運転するバンに乗ったタンホイザーは、ヴェーヌスと意見が食い違い、途中で車を降り、路地に寝転んでいる。自転車に乗ってやってきた女性に起こされ、タンホイザーが目を覚ますと、昔の騎士の同僚や領主たちが、首から社員証のカードをぶら下げた会社員のような格好で登場。まだピエロの格好をしているタンホイザーと、体格の良い男性歌手たちがTシャツを着たカジュアルな姿なのが面白い。

ピエロの格好をしたタンホイザーを、城の同僚たちがお出迎え。社員IDカードのようなものを首からぶら下げて、まるでオフィスワーカーのよう。©Deutsche Grammophon

エリーザベトもカジュアルな服にスニーカー、そして社員証を首からぶら下げている。ヴェーヌスやオネエ、小人がバンに乗って追いかけてきたところで第1幕が終了。すごいオペラを観ている気持ち。

この映像でユニークだなと思ったのが、壇上だけではなくたまに舞台裏の映像を映している点。第2幕の城の舞台では、エリーザベト役のリーゼ・ダヴィドセンが化粧をしているところ、舞台へと向かっているところ、そして登場前に緊張しているようで行ったり来たりしている様子や、直前に胸で十字を切っているところも見ることができる。こうしたオフシーンがあるので、役を務めている人たちの人柄が分かる気がする。

初めてのバイロイト音楽祭ということもあり、登場前に十字を切るリーゼ・ダヴィドセン。©Deutsche Grammophon

第2幕は割とオーソドックスな設定だろう。ヴァルトブルク城で皆が騎士や宮廷の姿をしている。ここに潜り込んできたヴェーヌスたちがまた面白いのだが、キョロキョロと挙動不審なヴェーヌスはまるでパイレーツオブカリビアンのジャック・スパロウのようであった。

第3幕では、中世の城の舞台からまた現代的な舞台へと戻る。ローマへと放浪してきたタンホイザー、戻ってくることを信じて自死の道を選んで許しを請うエリーザベト。そしてヴォルフラムとタンホイザーの言い合い。ヴェーヌスがタンホイザーを連れ戻そうとするが、エリーザベトの亡き姿を見つけてハッとするタンホイザー。

エリーザベトを亡くし、途方に暮れるタンホイザー。©Deutsche Grammophon

最後の曲では、映像で、タンホイザーが運転するバンの助手席に、微笑みながら体を寄せるエリーザベトが映る。本当に大切なものはエリーザベトだった、と亡くなってから気付いたタンホイザー。この心情を表現するかのように鳥肌が立つくらいのゲルギエフとバイロイト祝祭管が奏でる音楽が切ない。

幕が閉じると大喝采で、聴衆からは割れんばかりの拍手。カーテンコールでは特にエリーザベト役とタンホイザー役、そしてヴェーヌス役に大きな拍手が贈られた。ゲルギエフはお疲れなのか、それともシャイな性格なのかは分からないが、壇上で他のメンバーと手をつなぎながら前に行って挨拶して、すぐに手を離して後ろに引っ込んでしまう。料理が主役で自分は目立ちたく料理人のような印象を受けた。演奏の疲れもあっただろうが、母を亡くした直後という心理的な要素もあったのだろう。

演奏後、満足げな表情を浮かべるゲルギエフ。©Deutsche Grammophon

「タンホイザー」のあらすじを簡単に言うと、快楽に溺れた男が、結局一番大切なのは元カノだったと気付いた。けど、気付いたときにはもう後戻りできなくなってしまった、というところだろう。ただそれをこれだけ長大で崇高な世界に仕上げたヴァーグナーもすごいし、演奏家や演出家もすごい。このバイロイト音楽祭2019では登場人物もキャラクターが濃くて、視覚的にもとても面白い「タンホイザー」だった。今度はオーソドックスなものも観てみようとも思った。

オススメ度

評価 :4/5。

タンホイザー役(テノール):ステファン・グールド
エリーザベト役(ソプラノ):リーゼ・ダヴィドセン
ヴェーヌス役(メゾ・ソプラノ):エレナ・ツィトコーワ
ヴォルフラム役(バリトン):マルクス・アイヒェ
演出:トビアス・クラッツァー
指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ
バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
演奏:2019年7月25日-8月25日, バイロイト祝祭劇場(ライヴ)

【タワレコ】ゲルギエフ/バイロイト祝祭管 ワーグナー: 歌劇「タンホイザー」(Blu-ray)
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