指揮者チェリビダッケについて
ルーマニア出身の指揮者セルジュ・チェリビダッケ (1912-1996年)。
こちらの記事で紹介しましたが若かりし頃にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、晩年はミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者としてブルックナーの演奏で知られた名指揮者。
歯に衣着せない発言でも知られますが、心の琴線に触れる名言もまたあります。ここではその名言と言われた文脈を紹介していきます。
音楽とは「君自身」だ
「音楽は君自身だ」は書籍「チェリビダッケ 音楽の現象学」の後半の書き下ろしにも使われているサブタイトル。
ドキュメンタリー『チェリビダッケの庭』でフランスの若き指揮者志望の学生たちを指導するチェリビダッケ。ある学生との対談で、音楽が人に作用することを発見したのはチェリビダッケとする学生に対して、チェリビダッケは語り掛けます。
学生「でも先生(チェリビダッケ)以前に音楽の人間に対する作用を誰が説明できたでしょう?」
チェリビダッケの庭
チェリビダッケ「君自身がだよ。音が音楽として現れまた君に作用することを君は示したのだ。違うか?そうだろ?」
学生「(頷いて)なぜできるのでしょう?」
チェリビダッケ「音楽とは『君自身』だからだ。」
【キングインターナショナル】チェリビダッケの庭
私の人生は「ブルックナーすること」でした
同じく『チェリビダッケの庭』では、ブルックナーの交響曲第9番をミュンヘンフィルとのリハーサルと演奏会の映像が効果的に使われています。
最晩年にブルックナーの最後の交響曲で満足行くリハーサルができたチェリビダッケ。満面の笑みで団員にこう話し掛けます。
顧みれば私の人生は「ブルックナーすること」でした。だが皆さんがしてくれたような素晴らしい演奏はありません。私にとって運命の贈り物はブルックナーを発見した時代に生きていたことです。
チェリビダッケの庭
最高の演奏は団員同士が同調することによって生まれる
ベルリンフィルと喧嘩別れしてからこのオーケストラを指揮することがなかったチェリビダッケ。1992年にドイツ大統領の提案で38年ぶりに指揮することとなり、ブルックナーの交響曲第7番を演奏しました。
4日間のリハーサルでベルリンフィルを徹底的に稽古を積んだチェリビダッケ。カラヤン亡き後にアバドへと音楽監督が代わり、ハイレベルの各団員を一つにまとめ上げるコントロールが難しくなっていた頃、チェリビダッケはリハーサルを始めて間もなくオーケストラに語り掛け、「お互いの音を聴くこと」の重要さを説明します。
ここ数十年共演しなかったが私はあなた方の活動ぶりをつぶさに観察していました。ベルリン・フィルが成し遂げたことは本当に素晴らしい。常に前に突き進み高い実力と徹底性を示してきました。凡庸さを唾棄する決然たる態度。他を寄せ付けない孤高さ。それは何ものにも代え難い。あなた方の中には大変な名手や素晴らしいソリストがいます。有名ソリストより上手な人も。しかしオーケストラではそれが問題ではないのです。オーケストラとは「一緒に演奏すること」ではない。技巧の誇示ではないのです。
38年ぶりの帰還
そうではなく最高の演奏は団員同士が「同調」することによって生まれるのです。私の世代の指揮者が求めてきたのはお互いの音を聴き合うこと。さり気ない言葉だが真実はここにある。
レコードは優秀な指揮者を消失させた
録音嫌いだったチェリビダッケ。マイクを通じて録音された音は実際に聴くものと違うし、演奏会のホールで聴く音とレコードを家で聴くのでは残響も違うということで生前にリリースされた録音はかなり少なかったです。
同じく『チェリビダッケの庭』では、音楽評論家との対談でレコードに対して厳しく語っています。
レコードは全てを無味にし平凡にしてしまう。実物を写真に変えてしまう。想像してみてごらん。アルプスで1週間過ごす代わりに家でその写真を見ながらバーゼル付近の水がいかにおいしいか感じようとすることを。仕方なくそれで満足する人もいるが。レコードに音楽の代わりはできない。それは音楽の墓場の無情なコピー。敏感な人にとっては葬式だ。何が埋葬されているのか?本当の響きを生み出す可能性だ。本当の響きは再生できない。
チェリビダッケの庭
レコードは優秀な指揮者を消失させた。私がベルリンにやって来た頃優秀な指揮者が10人はいた。今はどこにいる?これは君の鼻先で起きたことだ。
コメント数:1
久しぶりに【チェリの名言】に触れました。私の人生を変えたチェリビダッケ…。
彼のお陰で、未だに音楽を聴き、そして【チェリビダッケ・トーン】を吹奏楽に甦らせようと奮闘している日々…。