本とクラシック音楽の第3弾
書籍と合うクラシック音楽を紹介する企画も今回が第3弾。前回の記事「【本とクラシック音楽】武者小路実篤『愛と死』とヴァーグナー『トリスタンとイゾルデ』」では幸福な愛、死の悲しみという相反するストーリーを紹介しましたが、今回は死に対して恐怖ではなく、達観した視点で語る本と音楽の組み合わせです。
『こころ』とマーラー交響曲第9番
それは、夏目 漱石の『こころ』と、グスタフ・マーラーの交響曲第9番です。

『こころ』は夏目 漱石の代表作。高校の教科書でも取り上げられていますが、私も高校の現代文の授業で『こころ』、そして芥川 龍之介の『羅生門』、『歯車』などを習いました。それまで独自流で読んでいた小説を、こんな深い読み方ができるのかと気付かされたのがこの現代文の先生。私のその後の読書遍歴を語る上で重要な恩師と言えるでしょう。
『こころ』では、大学生の「私」が主人公。鎌倉の海で「先生」と出会い、東京に戻ってからも家に通うようになりました。「先生」には暗い影を抱えており、それが学生時代に親友を裏切ったことであると、後の長い手紙で明らかになります。下宿時代に一緒に暮らしていた「先生」と親友「K」。どちらも下宿先の娘さんに恋をしたのですが、「K」が自分の気持ちを明かしてそれを知っていたのにも関わらず、「先生」は娘さんの母親に承諾を得て、結婚することになります。裏切りに心折れた「K」は自殺してしまい、それ以来「先生」は人が変わってしまいますが、真相を妻となった娘さんにも明かさずに日々を過ごしています。利己主義の自分、妻を愛する資格がない汚れた存在、他人を心から信じることができない孤独。それが積み重なり、「私」が実家に帰省している期間に、「先生」は自殺をし、そして分厚い手紙に全てを記し、「私」に送ります。
一方で、マーラーの交響曲第9番は彼が完成させた最後の交響曲。第九のジンクスを気にしたマーラーが、交響曲第8番の次に作曲した交響曲『大地の歌』に番号を付けなかったことは有名ですが、結果的にその後の交響曲第9番を作曲し、交響曲第10番は第1楽章だけほぼ完成し他はスケッチだけ遺して世を去りました。死と向き合ったマーラーが、交響曲第9番の第4楽章末尾ではersterbend (死に絶えるように) という指示を書いています。
『こころ』と交響曲第9番。どちらも厭世観と、死への覚悟を感じる組み合わせです。
自然体の境地、ハイティンク
マーラーの交響曲第9番は名盤が多いですが、『こころ』と一緒に聴くなら、バーンスタインのような爪を立てて生にしがみつこうとするのも違うし、ジュリーニのように美しく歌い上げるのもまた違います。そしてドゥダメルのように健康的な演奏も趣旨が異なります。私は、ベルナルト・ハイティンク指揮、バイエルン放送交響楽団の2011年のライヴ録音を上げたいです。
独エコー賞&マーラー賞受賞! ヤンソンス代役でのハイティンクのマーラー交響曲第9番 バイエルン放送響(2011年)
「先生」は達観したように人生を送っていますが、当時82歳のハイティンクのタクトは自然体の境地とも言うべき、何も足さない、何も引かないスタイル。この淡々とした雰囲気が、『こころ』の世界と見事に調和します。バイエルン放送響は透明感あるサウンドですが、時にえぐるような剥き出しの音を出すのがマーラーの毒のようで、「先生」の心境とシンクロします。
マーラーの交響曲第9番では第4楽章で音楽が次第に小さくなり、楽器のパートが1つ、また1つと減っていき、最後は少数の弦楽器のみが奏でます。「死に絶えるように」が静かに幕を閉じていくのですが、そのタイミングで『こころ』の長い手紙の末尾、「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、凡てを腹の中にしまって置いて下さい」を読むようにしてください。読み終わってからの余韻と、マーラーを聴き終えた余韻までが特別な体験になります。
ちなみにこの演奏会は元々、首席指揮者のマリス・ヤンソンスが振る予定でしたが病気のため降板し、代役を務めたのがハイティンク。『こころ』では「K」を裏切ってしまった「先生」ですが、このマーラーではヤンソンスの果たせなかった想いを引き継いだハイティンク。そこだけは違いますね。
本とクラシック音楽、次もお楽しみに。





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