マリス・ヤンソンス
1943年1月14日 – 2019年11月30日
指揮者マリス・ヤンソンスって
マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons)はラトビア出身の指揮者で、1973年にレニングラード・フィルハーモニー(現サンクトペテルブルク・フィル)の副指揮者に就任し、1979年から2002年にはノルウェーのオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を長期に渡って務め、このオーケストラを世界的水準まで引き上げました。特に2003年にバイエルン放送交響楽団、2004年にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という世界最高峰の2大オーケストラの首席指揮者を兼務してからは、現代を代表する指揮者の一人として活躍し、日本でもファンが多いです。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団での客演やニューイヤーコンサートでの出演、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団での客演もしています。
私も大好きな指揮者です。
ヤンソンスの特徴
マリス・ヤンソンスの特徴は、熟成された音楽作りや滑らかなハーモニーにあるでしょう。作品に丹念に向き合って解釈を深め、誠実な人柄でオーケストラのメンバーにも愛され、密にコミュニケーションを取ってリハーサルをおこない、本番では完全燃焼の演奏をしました。
誠実な人柄が伺えるエピソードがあります。こちらは2015年3月、ヤンソンスがコンセルトヘボウ管の首席指揮者を退任するときのインタビューですが、このように語っていました。
このオーケストラ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)の首席指揮者に就任した時、どんな変化をもたらしたいかと聞かれました。
何も変えたくないと答えました。
このすばらしいオーケストラを変えることは大きな過ちだからです。もちろん11年もひとつのオーケストラとつきあうとお互いが与え合う影響は多大です。
私が長く務めたことでオーケストラの新たな側面が現れたと言えるとは思いますが、それはとても自然ななりゆきです。
マリス・ヤンソンス、コンセルトヘボウ管の首席指揮者退任時のインタビュー
そして、「あなたの在任中、オーケストラ(コンセルトヘボウ管)のサウンドは変わりましたか?」という質問に対しては、「難しい質問ですね。変わってほしくないとでも申し上げましょうか。少なくとも『音が悪くなっていない』と言っていただけるならうれしいです。」と答えていました。
オーケストラからも愛されたヤンソンスは驚くほど誠実。それがヤンソンスが引き出す音楽にも表れています。
ヤンソンスのリハーサル
マリス・ヤンソンスはリハーサルが厳しかったと言われています。以前読んだ音楽の友(2009年1月号)に載っていたコンセルトヘボウ管の首席ヴィオラ奏者の波木井 賢さんのコメントで、「ヤンソンスはこうしたいというヴィジョンがはっきりとしていて、それを徹底させる。リハーサルは厳しく、練習から最高のものを出させる」と書いてありました。
また、バイエルン放送響の首席指揮者に就任するかどうかを決める際に1週間みっちりと稽古して相性を確かめてから決断したとヤンソンスが語っています。
すでに客演したことのあるオーケストラであっても、首席指揮者として招かれる際には慎重な確認作業が必要になる。私はバイエルン放送協会に対し、1週間ぶっ通しの『お見合い』リハーサルを要求したが、初日の最初の休憩でもう、『ここは私のオーケストラだ』と理解した。
【日経スタイル】ヤンソンス ベルリンけってミュンヘンにとどまるワケ
ヤンソンスとオペラ
マリス・ヤンソンスはオペラをあまり指揮しませんでした。マリス・ヤンソンスのラスト・レコーディング「マリス・ヤンソンス ラスト・コンサート(Mariss Janson His Last Concert Live at Carnegie Hall)」には、ドイツの音楽ジャーナリストのレナーテ・ウルム(Renate Ulm)氏による解説が載っており、その謎が解決しました。
どうやら、マリス・ヤンソンスは幼少期から歌劇場で過ごして父親アルヴィド・ヤンソンスが指揮するリハーサルや演奏をたくさん見てきて、オペラに対する情熱は芽生えていたのですが、長時間に渡るリハーサルの心労で1996年に最初の心臓発作を起こしてしまい、それ以来オペラを指揮することができなくなったそうです。
※追記:2022年7月に出版された『マリス・ヤンソンス 全ては音楽のために』(春秋社)に詳細が書かれていますが、1996年4月24日、オスロのコンセルトフスでおこなわれた演奏会形式でのプッチーニ『ラ・ボエーム』の演奏中、当時53歳だったヤンソンスは演奏直後からオスロフィルのコンサートマスターに「なんだか具合が悪い」と言っていて、死の二重唱に差し掛かるところで突然倒れ込んでしまったのです。重症の心筋梗塞を発症してしまったヤンソンスは、観客の中にいた医者たちの応急救護を受けてすぐに病院に運び込まれ、その後のコンサートも海外ツアーも全てキャンセルし、復帰するまでに6ヶ月を要したのでした。
ただオペラの演奏がゼロだったわけではなく、晩年には2016年にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、2018年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してチャイコフスキーの「スペードの女王」を演奏しています。
ヤンソンスの指揮スタイル
マリス・ヤンソンスの指揮は滑らかで流れるようなスタイル。感極まるところでは手だけで、まるで形を描くかのように指揮しています。
最近の演奏だと指揮棒を使った指揮しか見ていないのですが、実はヤンソンスには指揮棒を使わずに手だけで指揮する時代がありました。
まずはこちらを。1995年のオスロフィルとのR.シュトラウスの「ツァラトゥストラをこう語った」の演奏です。このときは指揮棒を持っていますね。
そしてこちらが1997年4月13日に、同じくオスロフィルとベートーヴェンの「英雄」を指揮したときの映像。指揮棒を使わずに手だけで指揮をしています。
所有しているDVDやBlu-rayを見返したのですが、これ以降2000年代後半までの映像を見た限りでは、指揮棒を使っていませんでした。
2000年5月1日のベルリンフィルヨーロッパ・コンサート@トルコ・イスタンブールでも、ヤンソンスは指揮棒無しでハイドンの交響曲などを指揮しました。
そして、こちらは2008年のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団との来日公演。NHK音楽祭でR.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を指揮したときの映像ですが、再び指揮棒を使っています。
こちらの記事で紹介した、2014年11月14日にバイエルン放送交響楽団とドヴォルザークの「新世界より」を指揮したときも指揮棒を使っています。
そして、こちらの記事で紹介した、2019年11月8日のヤンソンスのラスト・コンサート@カーネギーホールでも、指揮棒を握っています。下記のYouTubeで確認できます。
体調が万全ではなかったと言われていますが、ヤンソンスの頭はずっと下を向いたままで指揮姿もなかなかキツそうです。
ヤンソンスが得意とした作曲家
マリス・ヤンソンスはレパートリーが多い指揮者で、どれも高い水準でした。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンあたりの古典派から、シューマン、ヴァーグナー、ブルックナー、ブラームス、マーラーなどのロマン派・後期ロマン派、そしてバルトーク、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチあたりの近代ものまで得意でした。
中でも別格にうまかったのはR.シュトラウス、マーラー、ショスタコーヴィチだと私は思います。R.シュトラウスのカラフルな色彩、マーラーでのまろやかな音の重なり、ショスタコーヴィチでは一変して厳しい表情になる演奏が、どれもうまかったです。
ヤンソンスの聴き比べ
マリス・ヤンソンスは同じ作品を違うオーケストラと演奏することがしばしばありました。例えば、マーラーやブルックナーの交響曲では、首席指揮者を務めたバイエルン放送響とコンセルトヘボウ管それぞれでライヴ録音していました。特にブルックナーの交響曲第9番は2014年1月にバイエルン放送響とライヴ録音し、その2ヶ月後にコンセルトヘボウ管ともライヴ録音をしているのですが、その演奏が全く違うテイストになっているのです。
ブラームスの交響曲第1番についてはコンセルトヘボウ管(2005年のロンドン・ライヴ)、バイエルン放送響(2007年ミュンヘン・ライヴ)、ウィーンフィル(2012年ザルツブルク音楽祭・ライヴ)などがあります。
まとめ
多くの音楽ファンやオーケストラのメンバーから愛された指揮者マリス・ヤンソンス。彼の指揮の特徴やエピソードなどをまとめました。ヤンソンスが亡くなって早くも1年半以上が経ってしまいましたが、私は今も毎日ヤンソンスが遺した録音を聴いています。
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