このアルバムの3つのポイント
- クリスチャン・ツィメルマンの31年ぶりのベートーヴェンのピアノ協奏曲録音
- 気心の知れたサイモン・ラトルとのコンビ
- 隅々まで深い考察のピアノと、ラトルの斬新なデュナーミク
クリスチャン・ツィメルマン、30年ぶりのベートーヴェンのピアノ協奏曲録音
現代を代表する名ピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンは、1989年にレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲全集に取り組み、第3番から第5番まで録音しました。バーンスタイン逝去に伴い、第1番と2番はツィメルマンがピアノ独奏と指揮を兼ねた「弾き振り」により録音。1度目の全集を完成させました。
あれから30年。そのツィメルマンが2020年に再びベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を完成させました。
パートナーは、サー・サイモン・ラトル指揮のロンドン交響楽団。ラトルとは、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(2003年)、ルトスワフスキのピアノ協奏曲(2013年、FC2ブログ記事)、バーンスタインの交響曲第2番「不安な時代」(2018年、FC2ブログ記事)などを録音して、どれも高い評価を得ています。
このピアノ協奏曲全集は、5月にいち早くこの情報をキャッチし、こちらの記事でお伝えしました。
国内盤はMQA-CD×UHQCDのハイレゾ音源
輸入盤ではCDとLPレコードの2バージョン、国内盤ではMQA-CD×UHQCDのハイレゾ音源になっています。輸入盤CDが5,100円ぐらい、国内盤UHQCDが5,500円でしたが、これぐらいの差ならハイレゾにしてみようと思い、私は国内盤を購入しました。タワーレコードオンラインで購入したのですが、購入時には「在庫わずか」になっていて焦ったのですが、今では「在庫あり」に戻っています。
ツィメルマンの深い考察と寄り添うピアノ
5曲全部を聴いて驚いたのは、ツィメルマンの深い考察力。
2014年1月のすみだトリフォニーホールでのピアノ・リサイタルでベートーヴェンの後期ソナタ第30番から32番を演奏したツィメルマン。FC2ブログ記事に感想を書いていますが、そのときには強靭さと美しさのピアニズムを感じたのでしたが、このピアノ協奏曲で感じたのは、奥深さ。
特に第5番「皇帝」第2楽章での緩徐楽章や第4番の第1楽章では細かい響きまでよくコントロールされています。ピアノは本当に完璧だと思います。
また、ツィメルマンのピアノに変化を感じられたのは、オーケストラの演奏に寄り添うような場面。孤高のピアニストという側面もあるツィメルマンですが、ここではオーケストラと対話するかのように変化が見られます。
下記のYouTube動画で「皇帝」の第2楽章の演奏を見るとよく分かりますが、ツィメルマンはまるで指揮をおこなうかのように空いた手で気持ちを吐露するかのような身振りをおこなっています。録音では、ツィメルマンが息を吸う音もよく聞こえます。バーンスタインのときはクールだった青年ツィメルマンが、とても人間味があるような気がします。
伝統から解放されたベートーヴェン
サイモン・ラトルはイギリス出身の指揮者。ドイツ、オーストリアを母国にしていないので、ベートーヴェンにとっては外様になります。以前、2010年の内田光子とラトル指揮ベルリンフィルのベートーヴェン・ピアノ協奏曲録音で、内田光子がこのように語っていました。
「イギリス人は、ベートーヴェンを”所有”したことがない。だから寛容なのです。それが、私がロンドンに住んでいる理由なのです。」
内田光子、キングインターナショナル
そのときはベルリンフィルというドイツの大本丸でベートーヴェンの長い伝統を持つオーケストラでしたが、今回はイギリスのロンドン交響楽団。「ベートーヴェンはこうあるべき」という伝統から解放された演奏になっているかと思います。
ラトルらしい大胆なデュナーミクや細かい動きで作品に新しい息吹を吹き込んでいます。
例えば、第5番「皇帝」の第1楽章。冒頭の華々しい序奏の後に、オーケストラのトゥッティで提示部が演奏されますが、ここでラトルは押しては返す波のように、デュナーミクを強調して強く、弱く輪郭を描いていきます。まるで室内楽のように軽やかさ。ティンパニも単に連打するのではなく、加速(アッチェレランド)して打たせています。2002年のウィーンフィルとのベートーヴェン交響曲全集でもこういう小技が多かったですが、いかにもラトルらしいですね。ただ、雄大さは薄れてしまっています。
通常配置のオーケストラ
オーケストラの演奏を見るときに気になるのが配置。指揮者に対して左手が第1ヴァイオリン、右手が第2ヴァイオリンの対向配置(両翼配置)が伝統的ですが、最近はオーケストラに依りますが、左手から右に順に第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロや、第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→チェロ→ヴィオラといった配置が多くなっています。
YouTubeで映像で見れるのでロンドン響の配置を確認しました。指揮者のラトルから見て左手から第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロ、そしてチェロの後ろにコントラバスがいる配置ですね。両翼ではなく通常配置での演奏でした。
ソーシャル・ディスタンスでピアノとオーケストラに溝が
こちらがCDのブックレットに挿入されていた写真です。
録音場所はロンドンのLSOセント・ルークス(LSO St. Luke’s)。ここは聖ルカ教会を2003年に改修して音楽演奏用にした場所ですが、ロンドン響のリハーサルや他の演奏家のレコーディングなどにも使われているそうです。建物は教会なのに、新時代を感じさせるような青い照明が印象的です。
写真を見ると、ロンドン響の奏者がソーシャル・ディスタンスを取っていることが分かります。また、アクリル板を設置して、演奏者ごとに仕切りを持たせています。イギリスは新型コロナワクチンの接種が進んで、今では活動制限を解除していますが、2020年12月ではこのように工夫されてレコーディングがおこなわれていたのですね。
その結果、この録音でも特にピアノとオーケストラの掛け合いではどうしても距離感を感じてしまいます。例えば、「皇帝」第1楽章のこの部分。CDだとディスク3のトラック1の10分50秒あたりです。
オーケストラ(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニ)のフォルテの強打に続いて、ピアノがフォルテッシモで応える部分なのですが、この録音で聴くと、MQA-CD×UHQCDのハイレゾ音源で聴いても、オーケストラもピアノも若干離れている感じがします。
ドイツ・グラモフォンの技術者が違和感ないようにアレンジしているとは思うのですが…。ピアノだけのソロなら違和感がないのですが、オーケストラと合わさるとどうも音が逃げてしまっている感じがします。
英国ガーディアン誌のレビューでは4つ星判定
英国のガーディアン紙では、5段階評価の4つ星の判定。ツィメルマンのピアノには「What has remained constant across the decades is the unaffected clarity and beauty of Zimerman’s playing – the perfectly even execution of every run, the precise weight of every chord, the compelling articulacy of the smallest details」と絶賛していますが、ラトルの解釈にはやや辛口な評価。こんなことを書いています。
By and large, Rattle’s conducting is a model of tact and good taste, never drawing attention to itself; there is just the occasional exaggerated pause here, or elongated phrase there, which jars
【ガーディアン】Beethoven: The Piano Concertos review – few pianists convey the sense of wholeness more satisfyingly
誇張された休止や、引き伸ばされたフレーズがあったと。中でも、ソーシャル・ディスタンスのために、ピアノとオーケストラが離れ離れになってしまっているとがっかりしています。
More distracting, though, are the moments when the perspective between the soloist and the orchestra seems to go awry. Most of the time, the sound of the orchestra, socially distanced for the recordings, has been perfectly integrated, but just occasionally the piano seems to exist on a different plane altogether.
【ガーディアン】Beethoven: The Piano Concertos review – few pianists convey the sense of wholeness more satisfyingly
まとめ
YouTubeの感想では、バーンスタイン/ウィーンフィルとの演奏のほうが好きだという方もいましたが、これほど深いピアノ表現は今のツィメルマンならではでしょう。ラトル指揮ロンドン響も、ベートーヴェンの「本場」でないからこそ、斬新な演奏をおこなっています。
ツィメルマンのピアノは文句無しの素晴らしさ。ただ、ラトルの解釈に小細工が過ぎると感じる方もいるでしょうし、ソーシャル・ディスタンスでの演奏とあって、ピアノとオーケストラの音の「密」が失われてしまった感じは否めません。
オススメ度
ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン
指揮:サー・サイモン・ラトル
ロンドン交響楽団
録音:2020年12月, LSOセント・ルークス
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【タワレコ】クリスチャン・ツィメルマン ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集 [3UHQCD x MQA-CD]試聴
ドイツ・グラモフォンの製品ページ(ピアノ協奏曲全集)やiTunesで試聴可能です。
また、ドイツ・グラモフォンの公式YouTubeサイトでピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章の動画が閲覧可能になりました。
受賞
レコード芸術2022年2月号の「リーダーズ・チョイス2021 読者が選んだ2021年ベスト・ディスク」で1位を獲得。179ポイントで、キリル・ペトレンコ&バイエルン国立管弦楽団のマーラー交響曲第7番のディスクが159ポイントで2位。
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