このアルバムの3つのポイント
- かつて首席指揮者を務めていたベルリンフィルを38年ぶりに指揮
- チェリビダッケ得意のブルックナーの7番
- ベルリンフィルの低弦の厚み
ベルリンを追われたチェリビダッケが38年ぶりに客演
世界トップのオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。その首席指揮者を務めることは並大抵のプレッシャーではないことで、歴代の首席指揮者も名指揮者ばかり。こちらの記事で紹介した2023年のベルリンフィルの来日公演でのパンフレットにはこのように書かれていました。「創立以降の数十年間においては、ハンス・フォン・ビューロー、アルトゥール・ニキシュ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが首席指揮者を歴任、1955年からはヘルベルト・フォン・カラヤンが続いた。」
詳しい方はあれ、と思ったことでしょう。ここで書かれなかった指揮者が2名います。レオ・ボルヒャルトとセルジュ・チェリビダッケ。暫定首席指揮者としてボルヒャルトは1945年、チェリビダッケは45年から52年にポストに就いていました。特にチェリビダッケはフルトヴェングラー不在の時代のベルリンフィルと7年間も守ってきたチェリビダッケが書かれないのはあまりにも悲しい。
チェリビダッケはブラームスのドイツ・レクイエムのリハーサルでベルリンフィルと衝突し、1954年11月29日の演奏会をもってベルリンフィルから離れることに。そして翌日11月30日にはフルトヴェングラーが亡くなり、ベルリンフィルは後任の首席指揮者としてカラヤンを指名。チェリビダッケはベルリンを離れ、その後はローマやフランス、ロンドンで客演をしたり、シュトゥットガルト放送交響楽団などの首席指揮者を転々としましたが、1979年にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就き1996年に亡くなるまでそのポストを務め、ミュンヘンフィルの黄金時代を築きました。
チェリビダッケをベルリンフィルに帰ってこさせようと、ドイツのヴァイツゼッカー大統領による要望で実現した1992年3月31日と4月1日の慈善演奏会では、チェリビダッケにとって38年ぶりの帰還となりました。本拠地のベルリン・フィルハーモニーが改修工事のためシャウシュピールハウス (現コンツェルトハウス)での演奏会で、曲目はブルックナーの交響曲第7番。チェリビダッケ得意のブルックナーです。
映像で見られるリハーサル
ソニーからこの演奏会とリハーサルを含めた映像作品がリリースされています。4日間のリハーサルだったそうですが、映像では第1楽章の冒頭から始まっているので初日でしょうか。
今の若手筆頭の指揮者クラウス・マケラがドキュメンタリー「クラウス・マケラ ほとばしる情熱 (英語題名は「To FLAME」)」で「指揮者は何か言うのに3回は我慢します。オーケストラの演奏をいちいち止めて細かい指摘をするのは時間の無駄でしかない。」とか「100人の楽員を集中させ続けるのは難しい。リハーサルの時間配分や演奏の止め方を誤ると皆すぐに飽きてしまいます。」、「演奏に遠慮は要らないが楽員には礼儀を尽くすべきです。偉そうな態度は取りたくない。」と語っていたのですが、逆にそういう過去があってからこそ現代の指揮者はこのようなスタイルを取っているのかと私は捉えました。
チェリビダッケとベルリンフィルのリハーサルを見ているとその反面教師をまざまざと見ているようです。演奏が思い通りにならないと不機嫌な表情になり、すぐに演奏を止めます。そして講釈が長い。チェリビダッケのファンなので私は言葉の一つ一つに重みを感じましたが、ベルリンフィルのメンバーにとっては話すよりも練習したがったメンバーもいたでしょう。ガムを食べて指揮者と目を合わせないヴァイオリンの若手もいましたし、リハーサルの効率化を進めていた当時のベルリンフィル首席指揮者のクラウディオ・アバドとはまさに真逆にある古きやり方。
そしてベルリンフィル相手に「(ブルックナーの)作品もよく知らないでしょう」と辛辣な言葉も。ちなみにダニエル・バレンボイムとブルックナーの交響曲全集を完成させたベルリンフィルですが、第7番の録音は1992年2月。チェリビダッケのリハーサルのわずか1ヶ月前に演奏したばかりの曲なのに「作品を知らない」と言われるのはベルリンフィルのプライドの琴線にも触れたではと。
映像では「確かに本質を捉え切れていないしお互いに正確に聴いていない。作品もよく知らないでしょう。でも意欲がある。必要以上の音が出てくるのです。素晴らしいコンサートになるかもしれません。」と語って、チェリビダッケと団員が笑ってリハーサルの場面が終わっていました。
4日間のリハーサルでは足りなかった、チェリビダッケですが、映像を見ると一枚岩になっていないベルリンフィル相手に日数を重ねても変わらなかったのではと思います。
低弦の厚み
大統領夫妻もいる聴衆からの拍手に迎えられるチェリビダッケ。指揮台に上っても鳴り止まぬ拍手に応えてチェリビダッケはもう一度挨拶をおこないます。
チェリビダッケは晩年にブルックナーの交響曲第7番を何度も演奏していますが、このベルリンフィルとの演奏はかなりゆっくりで、同時期のミュンヘンフィルのライヴ録音と比べても下の表のとおり各楽章が数分以上遅くなっています。もっともチェリビダッケの言葉では「テンポ」ではなく「スピード」ですが。
オーケストラ | ミュンヘンフィル | ベルリンフィル | ミュンヘンフィル |
時期 | 1990年10月18日 | 1992年3月31日, 4月1日 | 1994年9月10日 |
場所 | サントリーホール | シャウシュピールハウス | ガスタイク・フィルハーモニー |
第1楽章 | 24:28 | 27:39 | 24:21 |
第2楽章 | 27:34 | 30:26 | 28:47 |
第3楽章 | 11:48 | 12:16 | 11:37 |
第4楽章 | 14:44 | 17:08 | 14:31 |
映像で見るとチェリビダッケの表情が曇ったり首を振ったり手で「違う」と指示を出したりすることもあり、出来が満足でなかったことが伺えます。第1楽章提示部第2主題では手の甲を指揮棒で「タンタンタン」と置いて拍を付けるように指示していましたし、提示部第3主題前のクレッシェンドではベルリンフィルの弦はまるで悲鳴のように聴こえるのですが、ミュンヘンフィルの演奏では1990年も1994年も星がきらめくような音がしたものでした。
一方で第2楽章の葬送行進曲でヴァーグナーチューバの暗闇に浮かぶ光のようでチェリビダッケの解釈の魔術の魅力が出ていましたし。第3楽章はスケルツォが舞踊のように軽やか。トリオになって別世界のような澄み切った空気感になり、この楽章はチェリビダッケも満足そうでした。
楽譜ではクラリネットもファゴットも2本ですが、この演奏会ではどちらも4本に倍管しています。ちなみに1990年のミュンヘンフィルのサントリーホールでも映像で見るとクラリネット、ファゴット、フルート、オーボエが4本になっているので倍管はチェリビダッケの意図でしょう。
4楽章では粗もあり、チェリビダッケの表情も曇ったまま。演奏後の聴衆の拍手も探るように静かに始めます。ミュンヘンフィルのライヴ録音ではワーっと喝采を浴びてましたが、38年ぶりのベルリンフィルでチェリビダッケの精神がオーケストラに行き届かないようでしたし、いつも以上にスローなテンポで懐疑的な反応もあったのかなと推察します。
まとめ
チェリビダッケの38年ぶりにして最後のベルリンフィルの指揮。演奏自体は貴重です
オススメ度
指揮:セルジュ・チェリビダッケ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1992年3月31日, 4月1日, ベルリン・シャウシュピールハウス (現コンツェルトハウス)
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試聴
Apple Music で試聴可能。
受賞
特に無し。
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