このアルバムの3つのポイント
- シャイーとコンセルトヘボウ管によるマーラーの「悲劇的」
- コンセルトヘボウ管とのマーラーの交響曲全集の最初を飾った録音
- ゆったりとした丁寧な演奏で健康的
話題にならないシャイーとコンセルトヘボウ管のマーラー交響曲全集だが…
リッカルド・シャイーは1988年9月から、ベルナルト・ハイティンクの後任としてロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任し、歴代のオランダ出身の指揮者がリードしてきたこのオーケストラにイタリア出身の指揮者として初めて就任し、国際色を高めた。
シャイーはグスタフ・マーラーの交響曲全集をデッカ・レーベルで録音しているが、第10番だけがベルリン放送交響楽団(現在のベルリン・ドイツ交響楽団)、それ以外の9つの交響曲をコンセルトヘボウ管と録音した。1986年10月にベルリン放送響と交響曲第10番(クック補筆版)を録音した後、コンセルトヘボウ管とは1989年10月の交響曲第6番「悲劇的」から開始し、首席指揮者のポストを下りる2004年6月に交響曲第9番を録音し、ようやく全集を完成させるというかなり息の長いプロジェクトだった。
コンセルトヘボウ管と言えば、マーラー自身が指揮台も立ったことあり、過去から現在までマーラーの演奏では格別のオーケストラだ。それなのに、このシャイーとコンセルトヘボウ管による録音がマーラーの名盤で名前が出てこないのはなぜだろう。そう思って逆に聴いてみることにした。
最初に録音された交響曲第6番「悲劇的」
シャイーとコンセルトヘボウ管は交響曲第6番「悲劇的」を1989年10月に録音しているがこれが彼らのマーラーの交響曲の最初の録音となった。
信じられないぐらいゆっくりな第1楽章
第1楽章は演奏時間が25分35秒。信じられないぐらいに遅いテンポで進むのだが、コンセルトヘボウ管らしく響きはゴージャスでもあり、重厚感もあり、良いバランス。
第2楽章はスケルツォ。13分21秒。うまいのだが、なぜだか引っ掛かる。表現が難しいが、後に2000年代になってからライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と演奏したときのイキイキさが感じられないのだ。生真面目過ぎるのだろうか、少し演奏が硬い気がする。
確かにうまいのだが…
第3楽章はアンダンテ・モデラート。14分43秒。この楽章もコンセルトヘボウ管弦楽団の豊かな響きと美しさで、確かにうまい。うまいんだけど、美しいんだけど、マーラーのどこか満たされない寂しさや悲痛さまでは表れてこない。そうか、この時シャイーはまだ36歳。マーラーの交響曲の魅力を満足に引き出すには、年齢や経験の積み重ねが一番重要のように思える。シャイーはまだ若すぎたのだろう。今のシャイーだったらルツェルン祝祭管弦楽団と2019年に演奏したラフマニノフの交響曲第3番のように、見事な表現力を引き出していただろうに。
火を吹く第4楽章
第4楽章は30分59秒。ここでシャイーとコンセルトヘボウ管が火を吹く。第1楽章であんなにゆっくりと進んで、これまで体力を温存していたかのようにこの最終楽章では力の限りを尽くして大砲のような爆演を聴かせる。ここでもテンポは若干ゆっくりなのだが、不思議と躍動感がある。
この楽章ではハンマーの打音を食らって情緒が不安定になっていくマーラーがトドメの強烈なイ短調の和音で息絶えるように曲が終わるのだが、このときのシャイーの指揮は健康的過ぎる。ハンマーを食らっても音楽が平然と進み、イキイキとしている。ただ、コンセルトヘボウ管のスケールの大きさは圧巻だ。特に、最後のイ短調の和音では「来るぞ」と思って身構えていたのだが、予想以上の巨大な音が叩きつけられて、心臓が止まるほどびっくりした。
まとめ
コンセルトヘボウ管のサウンド、豊かな響きや重厚感で聴ける「悲劇的」。確かにうまいのだが、シャイーの指揮にもう少し作品の深みが欲しいところ。ただ、第4楽章の火を吹くようなクライマックスは圧巻。
オススメ度
指揮:リッカルド・シャイー
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1989年10月, コンセルトヘボウ
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【タワレコ】Mahler: Complete Symphonies No.1-No.10 (12CD)試聴
iTunesで試聴可能。
受賞
特に無し。
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