このアルバムの3つのポイント
- ゲオルグ・ショルティ1回目のマーラー交響曲全集の一枚
- ロンドン響との熱演
- 激しい感情と高いボルテージ
ロンドン響、コンセルトヘボウ管、シカゴ響を振り分けたショルティ最初のマーラー交響曲全集
ハンガリー出身の指揮者、ゲオルグ・ショルティは同時期の米国出身の指揮者レナード・バーンスタインとともにグスタフ・マーラーの音楽を積極的に取り上げ、ユダヤ人ということもあり演奏が禁止されていた時期もあるこの偉大な作曲家の認知度向上に大きな貢献をしました。
ショルティは1960年代から70年代初頭にかけてデッカ・レーベルでマーラーの交響曲全集(第1番から第9番まで)の録音をおこない、その際は1961年にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(第4番)、1964年から68年にロンドン交響楽団(第1番〜第3番、第9番)、そして1970年から72年には音楽監督を務めたシカゴ交響楽団(第5番〜第8番と「大地の歌」)を振り分けています。特にシカゴ響の音楽監督に就任して最初の録音となった第5番(1970年3月)や第6番「悲劇的」(1970年4月)、そして第7番、第8番「千人の交響曲」は今でも高い評価を得ています。
なお、ショルティは1972年からは英国に帰化して「サー」の称号を得ていますが、このサイトでは、それ以前のショルティについては「サー」を付けずにゲオルグ・ショルティと呼ぶことにします。
吉田秀和氏のショルティ1回目のマーラー交響曲全集のレビュー
音楽評論家の吉田 秀和さんの『決定版 マーラー』(河出文庫)に、「ショルティのマーラー交響曲」という節がありますが、そこで1961年から1972年までのショルティのマーラー交響曲録音を聴いて、コンセルトヘボウ管の第4番だけは酷評していますが、シカゴ響との録音になると称賛しています。
はじめ私は、(ショルティのマーラーの交響曲を)番号順に聴きだした。ところが、《第四》の番になったら、それまでに比べ、一段とおちるのに気がついた。
(中略)
楽譜に忠実な点では文句がないのだが、その表情は、楽譜に命じられて、そのとおり外からつけ加えているようで、内面からの必然性があまり感じられないのである。
(中略)
私はコンセルトヘボウ管弦楽団がロンドン交響楽団より下の楽団だとは思わない。しかし、ここでみる限り、まるで役人が集まって、ただもう月給ほしさに演奏しているような自発性の乏しい演奏になっている。
だが、次の《第五交響曲》になると、これまでのどれよりもおもしろい演奏になっている。音が、磨きのかかった艶やかなものになるだけでなく、表情のすべてにわたり、冴え冴えとしたものが感じられる。
吉田 秀和『ショルティのマーラー交響曲』
80年代にシカゴ響と再録音したショルティ
やはりシカゴ響との録音に満足したのでしょう、ショルティは1980年から83年にかけて第1番から第4番、第9番の交響曲をシカゴ響と再録音することにし、シカゴ響だけでマーラーの交響曲全集を完成させています。
確かにシカゴ響とのほうが安定感がありますが、80年代になってくるとショルティも角が取れて丸くなってきたところがあり、70年代前半までのエネルギッシュな演奏とはまた違った特徴が見られます。
今回、改めて1967年のロンドン響とのマーラー交響曲第9番を聴き直してみて、色々と発見があったので紹介したいと思います。ちなみに私は2012年10月にリリースされたデッカ・レーベルの「生誕100年記念ショルティ名盤50」の一枚、UCCD-4696で聴いています。
シカゴ響との再録との違い
それではロンドン響とシカゴ響との録音の違いについてまずはご紹介します。
決定的に違うのは演奏時間で、第1楽章では27分だったのが30分に、そして第2楽章や第4楽章でも1〜2分長くなっています。ショルティは極端に遅いということはほとんどないですが、シカゴ響との再録音では少しゆっくりにしてじっくりと演奏しています。その一方で、第3楽章は13分09秒が12分24秒に。緩徐楽章でゆっくりにした分、全体が弛緩してしまわないようにメリハリをつけるためにロンドーブルレスケを速くしたことが伺えます。
曲目 | ロンドン響(1967年4月-5月) | シカゴ響(1982年5月) |
---|---|---|
第1楽章 | 27:05 | 30:14 |
第2楽章 | 16:38 | 17:48 |
第3楽章 | 13:09 | 12:24 |
第4楽章 | 22:55 | 24:38 |
ボルテージの高いロンドン響との旧録
そして、何よりもロンドン響との旧録のほうがボルテージが高いです。この時期の録音は他にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのシューマンの交響曲全集(1967-1969年)、同じくウィーンフィルとのブルックナーの交響曲第8番(1966年)があります。好き嫌いは分かれるかもしれませんが、エネルギッシュです。
「告別の歌」とも「別れの歌」とも呼ばれるマーラーの交響曲第9番。全体的に気怠さがあって諦めに近いような雰囲気が漂う第1楽章。目の覚めるような夢の続きのような優しい第2楽章のスケルツォ、そして目の覚めるような第3楽章、天国に上るような第4楽章と個性的な楽章がつながっていきます。
ショルティとロンドン響は第1楽章をグイグイと進んでいきます。全体的に金管がアクセント強く出ているのはシカゴ響のときと同じアプローチですが、再録音ではマーラーのスコアに忠実な演奏を心掛けていた感じがしますが、この旧録音ではショルティのエネルギーが込み上げています。音楽が濃く凝縮されています。
第4楽章はショルティらしくあまり溜めずにさらっと流れていきますが、高音のヴァイオリンだけではなく中間〜低音域のチェロやコントラバスの音色もよく鳴らしていて厚みを感じます。シカゴ響のときも第4楽章の美しさに驚いたものでしたが、ロンドン響ともこの楽章については引けを取らない好演奏だと思います。
ショルティの第4楽章の演奏は健康的な美しさがあり、カルロ・マリア・ジュリーニが1976年にシカゴ響と録音したときの浄化するような美しさとはまた違ったテイストがありますね。
オーケストラと音質の粗さ
オーケストラは英国で最高のオーケストラ、ロンドン響なのですが、この交響曲第9番については、粗さも目立ちます。特に金管セクションが裏返ってしまうことがところどころあり、イマイチなところもあります。技術面では1982年5月のシカゴ響との録音のほうが安心して聴けます。
また、CDの解説の帯には「録音の見事さも特筆されます。」と書いてありますが、これは違いますね。音質に定評のあるデッカ・レーベルにしては音が割れてしまっているところも結構あってお世辞にも良いとは言えません。注釈で「曲によりお聴き苦しい箇所がございますが、マスター・テープに起因するものです。」とありますが、マスター・テープ自体が傷ついてしまっているようです。
まとめ
ゲオルグ・ショルティ1回目のマーラー交響曲第9番の録音。ロンドン響を指揮してボルテージの高い演奏をおこなっています。シカゴ響との再録音と聴き比べると色々な発見がありました。
オススメ度
指揮:ゲオルグ・ショルティ
ロンドン交響楽団
録音:1967年4月28日-5月11日, ロンドン・キングズウェイ・ホール
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試聴
iTunesで試聴可能。
受賞
1969年の米国グラミー賞の最優秀技術部門を受賞。
コメント数:1
聴いてみました。確かに健康的でした。第4楽章を聴いても「死に絶えるように」とかではなく、「今日もいろいろあったね、お疲れさま、おやすみなさい、明日も頑張ろうね」という感じでした。録音のミックスの仕方なのか、ホルンは左、トランペット・トロンボーンは右、トライアングルは左、グロッケンは右と、かなりハッキリと左右に振った感じで、それぞれが何をやっているのかよくわかりました。個人的には常にホルン軍団の親分が次はどう出てくるか、いったいどんな人なんだろう、と気になりながら聴いていました。ティンパニも要所要所でキメに来る時の音が鮮烈で、どんなマレット使ってるんだろうとこちらも気になりました。変な言い方かもしれませんが、すごく親しみを覚える、元気をもらえる演奏でした。