このアルバムの3つのポイント
- 引退を表明したベルナルト・ハイティンク最後のザルツブルク
- エマニュエル・アックスとの熟練コンビ
- 悠久のブルックナー
引退を表明したハイティンクのラスト・ザルツブルク
※2021年10月21日にオランダの自宅にてベルナルト・ハイティンクが逝去されたとのこと。合掌。
2019年に90歳を迎えたベルナルト・ハイティンクは6月に引退表明をし、その年9月のルツェルン音楽祭での演奏を最後に長年の指揮者キャリアにピリオドを置くことにした。音楽評論家のカリナ・サリグマン(Karina Saligmann)によると、65年に渡る指揮者キャリアは史上最長だそうだ。若い頃からロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を務め、ベルリンフィルやウィーンフィル、バイエルン放送響とも共演を多数行い、そしてアメリカでもボストン響やシカゴ響の首席指揮者を務めたし、世界各国で活躍した指揮者であった。
そのハイティンクの最後の年の演奏はブルックナーの交響曲第7番が多かった。2019年5月でのベルリンフィルにおける最後の演奏会でもこのブルックナーの交響曲第7番を演奏した。この音源もリリースされているのだが、ダイレクトLP版でのリリースとなっており、LPが聴けない環境では耳にできない。また、2019年6月15日のオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団との演奏でもブルックナー交響曲第7番を取り上げており、その演奏はオランダのNPOラジオ4の公式YouTubeサイトで1時間43分の演奏全てを観ることができる。
そして2019年8月にはウィーンフィルとザルツブルク音楽祭に出演。今回紹介するのはその映像作品だが、タイトルに「フェアウェル・コンサート」となっているが、厳密にはハイティンクの最後のコンサートというわけではなく、「最後のザルツブルク音楽祭」という意味。この後にイギリス・ロンドンでプロムスコンサート、そして最後はルツェルン音楽祭でウィーンフィルを指揮して長期に渡る指揮者生活を終えた。
ベートーヴェンとブルックナーの長調の作品
ザルツブルク音楽祭2019でのプログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番とブルックナーの交響曲第7番。ハイティンクは2009年の80歳記念のコンセルトヘボウ管とのコンサート(FC2ブログ記事)では、当初はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番とブルックナーの交響曲第9番という組み合わせだったが、ピアノ独奏のマレイ・ペライアの意見を聞いてピアノ協奏曲をシューマンに変えていた。このときはこの結果的にロマン派の組合せで成功していたが、今回はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番からのブルックナーの交響曲第7番。ハイティンクは明るい長調の作品を並べ、古典派からロマン派へと切り開く道を作ったこのベートーヴェンのピアノ協奏曲からブルックナーへとつなげたい意向だったのだろうか。
エマニュエル・アックスとのベートーヴェンのピアノ協奏曲
プログラム前半はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番で、エマニュエル・アックスがピアノ独奏を務めた。アックスも1949年生まれのかなりのベテランで、90歳の指揮者と70歳のピアニストが演奏するという実にシニアな組合せとなった。演奏前の登場では、アックスがすたすたと先に歩いて行き、ハイティンクが杖をつきながらゆっくり進んだ。比べると失礼なのだが、70歳がかなり若く見えてしまう。
ハイティンクは杖をついて指揮台まで来たが、そこでウィーンフィルの奏者がさっと出て杖を預かる。ハイティンクを労っているのが伝わってきて、ほのぼのしてしまう。
ハイティンクは演奏中は指揮台で立って指揮を始めたが、椅子を置いていて、第2楽章などでは座りながら指揮をしている場面もあった。指揮の動きはそれほど大きくないのだが、とにかく動きが軽い。時には瞑想しながら、自然体で指揮棒を振るハイティンクの姿には、どこか達観したような風貌すら漂う。
ピアノ協奏曲第4番はベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲の中でも、派手さは無いが、森の木々のように、1つ1つの音が重なることで全体として絶妙な味が出た作品。エマニュエル・アックスのピアノは実直。カデンツァのところなどはもっさりしている感じは否めないが、まろやかな音色で音の厚みに円熟さを感じる。ヴィルトゥオーソ的な演奏ではないが、この作品には表面的な演奏よりも奥深さがある演奏のほうが合う。
ブルックナーの交響曲第7番
プログラム後半はブルックナーの交響曲第7番。最後のコンサートでウィーンフィルを指揮してブルックナーの交響曲第7番を演奏したといえば、クラシックファンならヘルベルト・フォン・カラヤンのことを思い出すだろう。こちらの記事で紹介しているが、カラヤン美学の境地とも言える演奏で、研ぎ澄まされた「美しすぎる」ブルックナーであった。
ハイティンクにとって、ブルックナーは格別な存在だろう。キャリアの浅い時期から何度も演奏、録音してきた曲だし、ハイティンクの作品第一のオーソドックスな演奏が、ブルックナーの作品の真価を高めてきたのは間違いない。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲では譜面台に楽譜を置いて譜めくりしながら指揮していたハイティンクだが、このブルックナーの交響曲第7番では譜面台に置いた楽譜は閉じられたまま。全ての音符や指示記号が頭に記憶されているのだろう。90歳という年齢を考えると、これはすごい。
冒頭から自然体の指揮ぶりで、音がフッと湧き上がってくる。YouTubeで見たオランダ放送フィルとの演奏ではオーケストラが少しミスしていたのだが、ここは世界トップクラスのウィーンフィル。しかもブルックナーの作品を初演したこともあるオーケストラだけに、ブルックナーはこうやって演奏するんだというのが体に染み付いているようだ。この演奏でも弦の美しさや木管・金管の柔らかく豊かな響きが絶妙である。
この映像では、通常のオーケストラのコンサート映像のようにアングルを切り替えて映すタイプだが、第1楽章の後半の1箇所だけ、ハイティンクの顔を右側にアップで映し合成している部分がある。フェアウェル・コンサートなのでハイティンクの表情をもっと見たいと思っていたので、この合成は素晴らしい。
悠久の音楽と表現したい。これを聴いていると時が経つのを忘れてしまう。
そしてウィーンフィルの響きは浄化された美しさと言うべきだろうか。まじりっ気のないハーモニーで、ハイティンクの特徴であるバランスの取れた音楽感覚は健在だ。カラヤンのラスト・コンサートでのブルックナーの交響曲第7番は美しさが全面に出ていたのだが、ハイティンクは、自然体の境地のような作品の素の素晴らしさを伝えてくれる。まるで、「何も足さなくても十分素晴らしいんだ」とでも言っているように。
最後の沈黙
そしてブルックナーの交響曲第7番の最後の音を指揮し終えたハイティンクは、すぐには指揮棒を下ろさずに5秒ほど俯いて沈黙する。まるで演奏し終えた余韻に浸るように。
ザルツブルク音楽祭に詰めかけた聴衆もシーンとしたままそれを待っている。ハイティンクの腕が下りてから、ようやく温かい拍手が響き渡る。
鳴り止まない拍手
この日の聴衆からの拍手は、「ブラボー」と熱狂するような拍手ではなく、慈愛のような拍手。これまでのハイティンクの長い長い素晴らしい活動に対して贈られるような温かさがあった。また、スタンディングオベーションで巨匠に最大限の賛辞の意を示した。ハイティンクはシャイなので、そんな気持ちに照れくささを感じながら、「もう良いんだよ」みたいな表情で舞台袖に向かう。
ハイティンクが退場してから、オーケストラも解散し、観衆の多くも帰って行ったのだが、一部の熱烈なファンが拍手の音が一人になってもずっと拍手し続けていた。そんな気持ちに応えるように、ハイティンクが再び登場。この幸せそうな表情を見ると、本当に愛された素晴らしい指揮者だったなぁと改めて思う。
まとめ
90歳を迎えて、引退を表明した偉大な指揮者ベルナルト・ハイティンクの最後のザルツブルク。ベートーヴェンもブルックナーも自然体の境地を感じる演奏だ。
オススメ度
ピアノ:エマニュエル・アックス
指揮:ベルナルト・ハイティンク
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
演奏:2019年8月31日, ザルツブルク祝祭大劇場(ライヴ)
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試聴
C Majroの公式YouTubeサイトで動画の視聴が可能。
また、関連動画としてオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団との交響曲第7番の演奏もオランダのNPOラジオ4の公式YouTubeサイトから視聴可能。
受賞
特に無し。
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