このアルバムの3つのポイント
- アンドリス・ネルソンスとゲヴァントハウス管のモーツァルトとチャイコフスキー
- モーツァルトで見せる軽やかさ
- 指揮棒が降り、楽譜が閉じるまで固唾を飲んで見守る聴衆
ネルソンスとゲヴァントハウス管のチャイコフスキー後期交響曲
現在、ドイツ・ライプツィヒを本拠地とするゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターを務めるアンドリス・ネルソンス。アメリカ・ボストンのボストン交響楽団の首席指揮者との兼任はさぞ大変なことと思いますが、どちらも好評で目に見える実績も出していますね。
ゲヴァントハウス管とは2018年からカペルマイスターのポジションに就任していますが、2月から3月かけてこの就任記念とオーケストラ創立275周年のコンサートをおこなっていました。ネルソンスとゲヴァントハウス管は2018年3月、2019年5月、2019年12月にそれぞれチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、第5番、第4番を含むコンサートをおこない、それが映像作品としてAccentusからリリースされています。3枚組のBlu-ray Discボックスも出ていて、それが1枚と同じぐらいの値段だったので、私はボックスのほうを購入しました。
2018年3月のゲヴァントハウスでのコンサート
今回紹介するのは、2018年3月にゲヴァントハウスでおこなわれたコンサートの映像作品。前半がモーツァルトの交響曲第40番、そして後半がチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」で、物悲しい作品で固めた演奏会でした。それでは順番に紹介していきましょう。
モーツァルトの交響曲第40番
前半はモーツァルトの交響曲第40番 ト短調 K.550。ぶっちゃけ、後半の「悲愴」より良い演奏だなと思いました。映像で見ているとアンドリス・ネルソンスの指揮がよく分かるのですが、顔の表情や手の動きを見ると、どういう音を出せば良いのかというよく表れているのです。例えば第1楽章では最後の音でふわっとした和音で終わらせたのですが、その時、ネルソンスは軽く手のひらを閉じるようにしていました。
また、第2楽章では、ネルソンスは指揮棒を持たずに手だけで指揮する場面や、指揮を全くしないフレーズもあり、オーケストラの自発性に任せている様子でした。そして軽やかさを出すところではこちらの画像のように、天を見上げるような表情で、実際にオーケストラから軽やかな音色を引き出していました。
第4楽章ではモーツァルトがぺちゃくちゃとしゃべるように、肩の力を抜いて少し遊び心を加えていまして、フレーズの繰り返しが多い部分でも、飽きずに新しい発見を見つけて聴くことができました。オーケストラのメンバーも楽しみながら演奏していましたね。これは素晴らしい。
そしてチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」
続くチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、実によく細部まで指揮されています。さすがにモーツァルトに比べるとネルソンスの指揮も真面目ですが、ゲヴァントハウス管の豊かな響きを引き出しています。第1楽章の展開部では、一転して嵐が降るような激しさで演奏され、ゲヴァントハウス管のパワフルさや重厚さが遺憾なく発揮されています。
第4楽章は、悲しさが見事に表現されています。ネルソンスの指揮は心臓の鼓動を表すかのように1拍目にアクセントを付けて波打っていきます。演奏後にはネルソンスが凝った演出をおこなっていて、曲の最後の音が鳴り終わってからネルソンスの指揮棒が下りるまでが45秒ほど。そしてさらに25秒に指揮棒を譜面台に置き、手を完全に下ろします。オーケストラのメンバーも動きを止めたまま、まるで通夜のようなシーンとした状態です。そして5秒ほどしてから譜面台の楽譜を閉じ、ここでようやくゲヴァントハウスの聴衆から温かい拍手を贈られます。チャイコフスキーが表現したかったのは演奏後の沈黙まで含めて「悲愴」だったのかもしれません。
まとめ
モーツァルトとチャイコフスキー、2つの短調の交響曲のプログラムですが、モーツァルトでは軽やかさやふわっとした柔らかさがあり、そして「悲愴」では静寂まで含めて感動的。良い演奏でした。
オススメ度
指揮:アンドリス・ネルソンス
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
録音:2018年3月15, 16日, ゲヴァントハウス(ライヴ)
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特に無し。
受賞
特に無し。
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