このアルバムの3つのポイント
- クラウディオ・アバド×ウィーンフィルのライヴ録音
- アバドが心身ともに充実していた時期の演奏
- ウィーンフィルの伝統的な響きを保ちつつ、アバドの情熱がスパイス
クラウディオ・アバドのウィーン時代
このCD BOXの浅里公三氏による解説によると、クラウディオ・アバドがベルリン放送交響楽団を指揮した演奏会をヘルベルト・フォン・カラヤンが聴きに来ていて、1965年のザルツブルク音楽祭にアバドを招待した。そして1965年8月14日、ザルツブルク祝祭大劇場にてウィーンフィルへのデビューを飾ったアバドは、マーラーの交響曲第2番「復活」を指揮した。これが好評で、国際的な名声を高めた。さらにウィーンフィルの楽団長だったオットー・シュトラッサーの回想によると、「例のない集中力をもって指揮し、私たちは大変な感銘を受けたので、早速、翌シーズンの予約定期コンサートに招いた」と語っている。これが1966年4月のウィーンフィルの定期公演で、ベートーヴェンの交響曲第7番と「プロメテウスの創造物」を演奏、そして録音も行い、32歳にしてアバドのデビュー盤ともなった。
そして着々と名実ともに高みを上るアバドは、1984年5月にウィーン国立歌劇場の次期音楽監督へと選出され、18年務めたミラノ・スカラ座の音楽監督を1986年に辞してウィーン国立歌劇場の音楽監督へ就任した。ウィーンフィルの母体はウィーン国立歌劇場なので、ウィーン国立歌劇場のポストに就くということはウィーンフィルと演奏する機会も増えるのだが、アバドも1985年からベートーヴェンの交響曲全集に着手している。
ウィーン国立歌劇場とは新しく着任した総監督との相性が折り合わず1991年にアバドは音楽監督のポストを辞し、そして後年は、リハーサルと本番でオーケストラのメンバーが違うなどでウィーンフィルと意見の相違があり指揮することがなくなってしまったが、今回紹介するベートーヴェンの交響曲全集はそういう意味でもアバドのウィーン時代を再評価するチャンス。改めて演奏を聴いてみたい。
アバド×ウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集がタワーレコード独自企画盤として再リリース
クラウディオ・アバドはウィーンフィルと1985年から1988年にかけて、ウィーン楽友協会・大ホール(ムジークフェラインザール)でのライヴでベートーヴェン交響曲全集を録音したが、この交響曲全集は入手困難となっていた。ベートーヴェン生誕250周年のアニバーサリーである2020年の12月にタワーレコード・ヴィンテージ・コレクション・プラス vol.30の4点の1つつとして、CD7枚組でリリースされた。交響曲全集だけではなく、同時期(1985〜1990年)にウィーン楽友協会・大ホールやウィーン・コンツェルトハウスでセッション録音されたベートーヴェンの序曲や合唱幻想曲Op.80などの作品も収録されていて、珍しい作品も耳にすることができる。
交響曲第1番
この第1番は第1楽章の冒頭から注目したい。ふわっと香りが立つような良い響き。ここでは初期の作品ということで、ウィーンフィルもあまりレガートにせずに音をハキハキと切って演奏している。
交響曲第2番
この第2番はちょっと判断が迷う。冒頭のアンサンブルから、前に進みたいのか進みたくないのか、曖昧な音なのだ。全体的に良い演奏だとは思うのだが、同時期に交響曲第7番と第8番も演奏・録音しているので、アバド/ウィーンフィルもそちらに重点を置いてしまっている感じで、この第2番は特に可もなく不可もなく、という印象だ。
交響曲第3番「英雄」
第3番「英雄」はこの全集で最初に録音されたもの。良い意味で中庸的な演奏だろう。テンポも標準的だし、第1楽章は繰り返しも守って演奏時間は18分25秒。後年のベルリンフィルとの演奏ではほとばしっていたが、ここではウィーンフィルの美しい響きを保っている。第1楽章の主題での静かに聴こえる小刻みなトレモロがうまい。
第2楽章ではゆったりとしたテンポで、葬送行進曲が歌われていく。これほど色彩豊かな演奏は他に聴いたことがない。これもアバドが指揮したにしては中庸な演奏かもしれないが、後年の再録音とは違うアプローチで歌心を引き出す演奏として、とにかく良い。
第3楽章はそっと静かに始まり、終始慎重に行くかと思いきや、最後の最後でうわーっとクレッシェンドしていき、切れ目なく第4楽章へ。少しパッションがほとばしる速弾きの後、また静かに丁寧に演奏されていく。この楽章では高々に勝利のファンファーレが鳴らされるというタイプの演奏ではなく、ウィーンフィルが持つ美音で気品のある演奏になっている。それにしても色彩豊かだ。
交響曲第4番
交響曲第4番は全集の中では最後の1988年5月に演奏されている。アバドとウィーンフィルの9曲の交響曲の中でこの第4番が白眉の出来に思える。ウィーンフィルがこんなにもイキイキと、喜びに満ちた自発的な響きを出しているなんて。
交響曲第5番「運命」
第5番「運命」についてもウィーンフィルらしい。「典型的」と言ったら語弊があるかもしれないが、ウィーンフィルが持つ「運命」の型にハマった演奏だ。音量がやや控えめで、これも気品がある。アバドらしい情熱のほとばしりがこの作品では全く出てこない。音の残響もあまり残さず、キビキビとしている。第2楽章はもう素晴らしいの一言。豊かなオーケストラのハーモニーがこれ以上無いほど贅沢だ。第3楽章は演奏時間が5分24秒。落ち着いていて、アバドにしてはテンポが遅いぐらいだ。クライマックスでは聞こえないぐらいの静かさから長いクレッシェンドで第4楽章に突入。ここでようやくアバドらしさが出てきた。感情がほとばしっているが、ウィーンフィルの気品は保ったままだ。最後までゆっくりとして、丁寧に演奏されていく。
交響曲第6番「田園」
1986年9月に録音された「田園」は実に美しい。ウィーンフィルが元々得意とする作品だが、アバドはそれの邪魔をせずにのびのびと演奏させている。第4楽章の嵐の場面でアバドの真価が発揮されている。ピリッと引き締まった情景に移り、テンポもぐっと速くして、稲妻もズドンズドンと落ちてくる。そしてそれが晴れた第5楽章が何と美しいこと。
交響曲第7番
交響曲第7番は軽やかで良い香りがするかのよう。気品があってウィーンらしい風情を感じる。第2楽章では起伏が少なくて淡々としているかのようにも聴こえるのだが、ささやくような弱音で1つ1つの旋律を丁寧に紡いでいく。第3楽章もケバケバしくならずに気品のあるハーモニー。第4楽章もテンポを必要以上に上げることもなく、ウィーンフィルの型の中でアバドがスパイスを加えている。
交響曲第8番
交響曲第8番は実に可憐。第7番と第9番の大曲に挟まれた作品だが、アバドとウィーンフィルはこの作品にウィーンらしい優雅さで表現している。
交響曲第9番「合唱付き」
この第9番については、1996年4月のザルツブルク音楽祭でのアバドとベルリンフィルのライヴ録音を聴いているが、音質がイマイチだったし、デュナーミクが斬新すぎて実験的な感じがしたし、同じくベルリンフィルの2000年のヨーロッパコンサートでのライヴ録音を映像でも観たし、CDでも聴いたが、こちらは激しすぎる演奏がベートーヴェンの音楽を表面的にしてしまっている感じがしてどうも好きになれなかった。
ただ、このウィーンフィル盤は違う。ウィーンフィルが持つ伝統的な響きを保ちつつ、適度に、本当に適度に、アバドの情熱がスパイスされている。ウィーンフィルには「型」があって、誰が指揮しても大きく崩れることは無いのだが、その反面、指揮者の個性が出にくいとか演奏が金太郎飴化してしまうという欠点もある。この第九では、中庸と言うべきで、バランスが取れている。ウィーンフィルの型は持ちつつも、例えば第4楽章冒頭の急激なテンポや激しいティンパニーのようにアバドの表現が尊重されている。
まとめ
クラウディオ・アバドが世界的なスターダムに上り詰めている時代の心身ともに充実していた時期での演奏で、ウィーンフィルの伝統ある響きを出しつつもアバドらしいパッションをスパイスに加えた名演。
オススメ度
ソプラノ:ガブリエラ・ベニャチコーヴァ(第9番)
アルト:マルヤーナ・リポフシェク(第9番)
テノール:エスタ・ヴィンベルイ(第9番)
バリトン:ヘルマン・プライ(第9番)
指揮:クラウディオ・アバド(第9番)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1985年6月(第3番), 1986年5月(第9番), 1986年9月(第6番), 1987年2月(第2番, 第7番, 第8番), 1987年10月(第5番), 1988年1月(第1番), 1988年5月(第4番), ウィーン楽友協会・大ホール(ライヴ)
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【タワレコ】ベートーヴェン: 交響曲全集、序曲全集、合唱幻想曲、カンタータ《海上の凪と成功した航海》<タワーレコード限定>(CD7枚組)試聴
iTunesで試聴可能。
受賞
特に無し。
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