ショパン バラード&スケルツォ全集 ヴラディーミル・アシュケナージ(1964年, 1967年)
ショパン バラード&スケルツォ全集 ヴラディーミル・アシュケナージ(1964年, 1967年)
  • アシュケナージ若き頃のショパン
  • ピアノ作品全集とは別テイクのショパンのバラード&スケルツォ
  • みずみずしさ、詩情、カミソリのような切れ味の三位揃った名演

ソ連出身のヴラディーミル・アシュケナージは1955年のショパン・コンクールで準優勝(優勝したのはポーランドのアダム・ハラシェヴィチ)。ただ、審査員を務めたあの名ピアニストのアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリがアシュケナージが優勝すべきだと審査結果を不服とし、審査員を降板することにもつながった。ただ、アシュケナージ自身は後に自伝「アシュケナージ 自由への旅」でハラシェヴィチについて高い評価をしているし、自分自身も演奏が失敗したと語っていた。詳細についてはFC2ブログの記事に書いているのでそちらを参照いただきたい。

アシュケナージは1962年のチャイコフスキー・コンクールにも出場。ソ連の国家のメンツを守るために出場することとなり、ジョン・オグドンとの同時優勝となった。そしてデッカレーベルとの専属契約をすることになり、1963年のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、第3番でレコーディングデビュー。続く1964年にはショパンのバラード全曲を録音している。

後年、アシュケナージはショパンのピアノ作品全集を録音し、4つのバラードも再録音するが、中庸的なアプローチにシフトしていくアシュケナージのこのときの演奏よりも、当時27歳のこの1964年のバラードのみずみずしさは格別だ。また、再録音ではより楽譜に忠実に演奏するために、左手で弾くべき和音、ただし普通の手の大きさだといくら伸ばしても一度には掴めない跳躍した和音、を弾くためにアルペジオ(分散させて弾く方法)で弾いていたが、この旧録では右手も使って一度に和音を掴んでいるため、音としては縦に揃っていてスッキリとしている。

このバラード全曲は、どれも良い。音質はちょっとこもっている感じはするが、ピアノの高音部はクリアな音で再生できる。この時代、アシュケナージはそのシャープなテクニックで「カミソリのような切れ味」と評されることもあったが、まさにそのとおりで、速いパッセージも難なく、力強く演奏していく。

冒頭から繊細なタッチで、ノクターンのように甘い旋律を少しずつ紡いでいく感じが良い。寄せては返す情熱的なフレーズでも、高い技術を有しながらも決して技術一辺倒にならず、ショパンの旋律を引き出すことに注力している。

ただ、第1番については1983年の再録音のほうが力強さが増して良いかもしれない。

18歳で臨んだ1955年のショパン・コンクールでもこの曲を弾いているアシュケナージなので、もはや十八番と呼べる曲だろう。

この曲は穏やかな曲想と、嵐のような激しい曲想が交互に現れる構造。筆者も一時期集中してピアノ練習に取り組んだこともある曲だが、嵐のような激しいフレーズがやはり難しい。速く弾くのには練習が十分にいる。また、特にコーダの部分が最も難しく、シンコペーションで左右の音のリズムをずらしながら連打で打鍵するフレーズはかなり弾き込まないといけない。

このアシュケナージの録音では、穏やかなフレーズが繊細で美しい。情熱的なフレーズでも素早いタッチだが、決して美しさを損なわない情熱的な演奏。アジタート(Agitato)のあの速さと言ったら鳥肌が立つほどだ。

一番特筆すべきなのはバラード第3番。これほどみずみずしくて、青年のような繊細で多感な演奏は他では聴いたことがない。私もこの曲をピアノの発表会で弾いたことがあるが、楽譜にはドルチェ(柔らかに・愛らしく)とかメッザ・ヴォーチェ(声量を落とし、柔らかく)とか、ショパンが柔らかさを追求した指示が書かれている。このアシュケナージの演奏を聴くと、柔らかくて気品があって、指示をストレートに表現していることが分かる。特に9小節目では、右手はラ♭のオクターブで付点四分音符、左手は同じくラ♭のオクターブで八分音符でここだけスタッカート、そして全体にはf> (フォルテの後に局部的に強くする記号の>)が付いている。この小節を完璧に演奏していると感じたのはこのアシュケナージの演奏と、クリスティアン・ツィメルマンの1987年の演奏ぐらいだ。

バラード第4番は実に詩情豊かで、しんみりとピアノの美しさを感じさせてくれる。アシュケナージは1999年の円熟味ある名演が本当に素晴らしいものであるが、この若かりし演奏もまた良い。

冒頭はそっと始まる。Andante Con Motoの楽譜の指示に従い、アシュケナージは繊細な旋律を弾くのと並行して、内声を奏でて、内面の感情の動きを表現している。これがうまい。

たどたどしいはかない旋律の歌わせ方と、感情の大きな波を描くようなダイナミックな演奏がとても素晴らしく、デリケートでありながらもパッション溢れるショパンのこの作品を実によく表現している。

私はデッカが2000年にリリースしたLegendsシリーズ(型番466-499-2)のCDを持っているが、これにはバラード全集の他に1967年に演奏されたスケルツォ全集と前奏曲遺作Op.45も収録されている。

ショパンは全部で26の前奏曲を書いた。24の前奏曲Op.28は全ての長調、短調で書かれた一連の作品であり、遺作となった嬰ハ短調Op.45はOp.28を書いた2年後の1841年に作曲されたもので、ウィーンの出版社がベートーヴェン記念碑建設基金募集としてベートーヴェン記念アルバムを企画した際にそこに掲載する作品として選ばれた。

Op.45は幻想的な作品で、冒頭に出てくる主題が転調されて進んでいくが、同じ嬰ハ短調のベートーヴェンのピアノソナタ「月光」との類似性を指摘している音楽学者もいる。確かにふわっと始まって、いつの間に終わっている幻想的な感じが、月光ソナタの第1楽章と似ている。

アシュケナージは1967年のこの作品の演奏を聴くと、若かりし頃の演奏らしくみずみずしい。主題が調を変えて繰り返されるごとに、幻想的な演奏を聴かせてくれ、まるで水の中にいるかのような神秘的な気持ちになる。間の取り方が素晴らしく、残響に浸りながらその幻想さを深めてくれる。4分40秒足らずで終わる短い曲であるが、最後はさりげなく、最後の一音が終わってから10秒ほど余韻に浸り、消えるようにトラックが終わる。

このスケルツォ第1番では、強烈な不協和音の後に、パッションに溢れる音が怒涛のように流れ込んでくる。とても速いテンポで、評されたようにアシュケナージの打鍵はカミソリのようなキレがある。祖国ポーランドのロシア圧政への反乱が失敗したことについての、ショパン青年の激しい感情がここに息づいている。

中間部のポーランドのクリスマスキャロル「眠れ、幼子イエス」を引用したフレーズに変わると、アシュケナージはみずみずしく、幻想的に、束の間の癒しを与えてくれる。とてもロマンティックな演奏で、夢を見ているかのような気持ちになる。そして不協和音からまた第1主題が始まる。速い打鍵で、ほとばしるような感情が一気に流れ込む。

スケルツォ第2番は、燃え上がるようなパッションと、カミソリのようなテクニックが前面に出た演奏だ。

冒頭のナポリの六度の動機は素早くコリコリっと弾いた後に、燃え上がる火炎のように、強音の音が噴き出す。第1主題はショパンらしい優雅な左手の伴奏に、右手のメロディがはっきりと浮かび上がる。高音部が特に美しく弾かれる。中間部のコラール風の演奏は繊細で優しく、みずみずしい。火の精と水の精が交互に舞い降りたかのようなパッションと冷静さが表れている。

もぞもぞっとした序奏が始まった後、第1主題は速いテンポで一気に弾かれる。1976年の録音(FC2ブログ記事)のほうが打鍵のタッチが強いが、この旧録では燃え上がるような情熱がほとばしっている。アシュケナージが若いときに言われていた「カミソリ」のようなテクニックとは、こういう意味なのかとよく分かる。非常にキレがある。第2主題のコラール風のフレーズはこちらのほうがロマンティックで、繊細。ペダルによって音色が柔らかく、優しく重ねられている。コーダでの細かい音符の演奏はとてもきめ細かく、込み上げっていくパッションが、音の駆け上がりと同期している。少し音質が良くないのが玉に瑕(たまにきず)だが、アシュケナージのパッションとロマンティックさを感じる名演。

アシュケナージは1965年にこの第4番のスケルツォだけ録音(FC2ブログの記事)していたが、この1967年の録音ではたった2年の違いなので、解釈や演奏スタイルに差は見られない。

冒頭の主題の登場は、まるで水の中にいるように幻想的。ヴェールに包まれるように優しい音色になるように、タッチは柔らかく、細心の注意が払われている。変イ長調、変ホ長調へ転調された後も、滑らかに、穏やかに、曲は紡がれていく。クライマックスになると熱が帯びてきて、最後のオクターブの連打だけはこれまでとは変わって情熱的に、激しい打鍵で強靭に弾かれている。幻想的で、繊細で、最後は情熱的。

若きアシュケナージのみずみずしさ、詩情、そしてシャープな切れ味が三位揃った名演。

オススメ度

評価 :5/5。

ピアノ:ヴラディーミル・アシュケナージ
録音:1964年7月(バラード), 1967年6-7月(スケルツォ, 前奏曲), デッカ・スタジオNo.3, ウェスト・ハムステッド, ロンドン

iTunesで試聴可能。

特に無し。1965年米国グラミー賞「BEST CLASSICAL PERFORMANCE – INSTRUMENTAL SOLOIST OR SOLOISTS (WITHOUT ORCHESTRA)」にノミネートしたが受賞ならず。

Tags

コメントはまだありません。この記事の最初のコメントを付けてみませんか?

コメントを書く

Twitterタイムライン
カテゴリー
タグ
1976年 (19) 1977年 (13) 1978年 (16) 1980年 (13) 1986年 (12) 1987年 (13) 1988年 (14) 1989年 (13) 2019年 (17) アンドリス・ネルソンス (18) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (78) ウィーン楽友協会・大ホール (56) エジソン賞 (18) オススメ度2 (14) オススメ度3 (76) オススメ度4 (107) オススメ度5 (124) カルロ・マリア・ジュリーニ (26) カール・ベーム (28) キングズウェイ・ホール (12) クラウディオ・アバド (24) クリスティアン・ティーレマン (17) グラミー賞 (29) コンセルトヘボウ (35) サー・ゲオルグ・ショルティ (53) サー・サイモン・ラトル (21) シカゴ・オーケストラ・ホール (20) シカゴ・メディナ・テンプル (16) シカゴ交響楽団 (49) バイエルン放送交響楽団 (35) フィルハーモニー・ガスタイク (14) ヘラクレス・ザール (21) ヘルベルト・フォン・カラヤン (30) ベルナルト・ハイティンク (37) ベルリン・イエス・キリスト教会 (19) ベルリン・フィルハーモニー (32) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (61) マウリツィオ・ポリーニ (16) マリス・ヤンソンス (42) ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 (14) リッカルド・シャイー (21) レコードアカデミー賞 (23) ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (42) ロンドン交響楽団 (13) ヴラディーミル・アシュケナージ (23)