このアルバムの3つのポイント
- ドイツ音楽の重鎮クリスティアン・ティーレマンがウィーンフィルを指揮してライヴ録音したベートーヴェンの交響曲全集
- 時代を逆行する骨太で古風なベートーヴェン像
- シュターツカペレ・ドレスデンとのミサ・ソレムニスも
意見が割れるクリスティアン・ティーレマンとウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集
2008年12月から2010年4月まで、4回に分けて1年半を掛けておこなわれた指揮者クリスティアン・ティーレマンとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン・チクルス。
交響曲全集の映像作品がC Majorレーベルからリリースされていますが、音源だけをユニテルからライセンス許諾を受けたソニー・クラシカルがCD化もしています。
ただ、このベートーヴェンの交響曲全集はあまり評判が良くないんですよね。
確かに、ソニー・クラシカルでは「現在ヨーロッパで最も注目を集める指揮者と名門オケという新鮮な組み合わせで高い評価を得、地元ウィーンのみならずパリとベルリンでも演奏されて絶賛された。」と紹介されているのですが、レコードショップのレビューでは否定的な意見も目立ちます。
ウィーンフィルによるベートーヴェンだから、ウィーンフィルのファンが多い日本でも評価されてもおかしくないのですが、レコードアカデミー賞でも映像作品が「コンサートとドキュメンタリー」の特別部門を受賞したぐらいで、交響曲部門も受賞できていません。
私も最初CDを聴いたときに古風な演奏にこだわり過ぎている感じがして、良いとは思えなかったのですが、こちらの記事に書いたように、ウィーンフィルとのブルックナー・チクルスの演奏を聴いて再びティーレマンとウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集を映像で聴き直すことにしました。
ブライトコプフ版による旧全集での演奏
ティーレマンとウィーンフィルのベートーヴェンの交響曲全集で使われた楽譜はブライトコプフ版。19世紀半ばに編纂されブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版された旧全集版です。
1985年から2000年にかけて編纂されたベーレンライター版が1990年代以降から取り上げられるようになり、ブライトコプフの新版による交響曲第9番も2000年代から出ているのですが、ティーレマンは旧来のブライトコプフ旧版を使用したと伝えられています。
こちらは交響曲第6番「田園」の冒頭を演奏しているウィーンフィルの楽譜が映りこんだときのものですが、表紙の下にBreitkopf & Hartelの文字が見えます。
9つの交響曲とシュターツカペレ・ドレスデンとのミサ・ソレムニスについて、じっくり聴いてレビューを書いていきたいと思いますので、少しずつ記事を更新していきます。
伝統的な対向配置(両翼配置)
ティーレマンはオーケストラの楽器の配置について、伝統的な対向配置(両翼配置とも言います)のフォーメーションを指定しています。指揮者の左手に第1ヴァイオリン、右手に第2ヴァイオリンが来る配置です。
ウィーンフィルとはこのベートーヴェン交響曲全集もそうですし、2019年から始めたブルックナーの交響曲チクルスでも対向配置でした。また、シュターツカペレ・ドレスデンとのブルックナーの交響曲全集でも対向配置でしたので、かなり伝統を重んじる指揮者です。
こちらが「田園」を演奏したときの映像。第1ヴァイオリンがティーレマンの左、第2ヴァイオリンが右にいて、チェロが真ん前。
対向配置と言っても、他の楽器の配置は様々だったりするのですが、コントラバスをオーケストラの最後方に持ってくるのがティーレマン流。ウィーンフィルとはブルックナーのときもこの形です。
交響曲第1番 ハ長調 Op.21
ベートーヴェンの交響曲第1番について「若者特有の憂いのなさ、ただ完全に憂いがないというわけではない様子」がある曲だと語っています。
またこの曲は、ハ長調なのに序奏ではなかなか主調に落ち着かないという独特な始まり方をします。これについてティーレマンは次のように語っています。
彼(ベートーヴェン)は「さあ始めるぞ」と言ってハ長調で始まると皆が思うのところをそうは始めない、そうでなくて属音から始まります。まるで予想のつきやすい冗談のようだ。ベートーヴェンは私たちにあっかんべと舌を出しているんですよ。それから「まあ気を悪くしないですぐに落ち着くから」と言っている。ゆっくりした序奏は慎重に進んでいる感じです。ここではハーモニー的にも手探りで進んでいるようであり、独特ではありますが、それが重大な意味を持つとは思いません。
クリスティアン・ティーレマン
確かに第1楽章の出だしを丁寧に丁寧に描いているティーレマンとウィーンフィル。テンポは遅すぎるくらいですが、時間を掛けて熟成させているようにも思います。第1主題ではウィーンフィルの香るような豊かな響きで演奏していきますが、第2主題ではスタッカートを強調してただの明るい音楽ではない執拗な雰囲気も生み出しています。
交響曲第2番 ニ長調 Op.36
この曲のドキュメンタリーではティーレマンとウィーンフィルのリハーサルが少し含まれていましたが、盛り上がって速くなりがちなフレーズで「急がずに」と指示を与えていたのが印象的でした。情熱的で劇的な効果を得るクラウディオ・アバドや、テンポをドライブするサイモン・ラトルとのアプローチとは違って、ティーレマンはあくまでも雄大に構えています。
交響曲第1番と第2番は2008年12月のライヴ録音で、ティーレマンとウィーンフィルのベートーヴェン・チクルスの最初となったものでした。リハーサルでは、第1番と第2番をウィーンフィルに通しで演奏してもらい、その後の稽古で細かい指示を出すようにしたとのことです。
ドキュメンタリーには第2楽章でレナード・バーンスタインがウィーンフィルを指揮した1978年の映像も少し含まれていましたが、ウィーンフィルからしなやかで繊細な響きを引き出していました。その後でティーレマンの演奏を聴くと、やはり硬さが感じられます。柔らかさはなく剛直で力強さがあります。
交響曲第3番「英雄」 変ホ長調 Op.55
作家の百田 尚樹さんはクラシック音楽ファンとしても有名ですが、クラシック音楽のオススメを紹介する本「至高の音楽」でも、
最近ではクリスティアン・ティーレマン指揮のヴィーン・フィルの演奏がいい。
百田尚樹「至高の音楽」第一曲ベートーヴェン「エロイカ」より
と紹介されています。百田さんは大のフルトヴェングラー好きですが、ティーレマンの演奏に往年の名指揮者に近さを感じたのかもしれません。
ティーレマンと音楽評論家のヨアヒム・カイザーの対談ではティーレマンのベートーヴェンについてこのように語られていました。
ティーレマンは時々鋭いテンポを選ぶことがあります。彼は時にはアゴーギク的なリズミカルな演奏を敢えてとっています。これは現代的であり同時に古風な主観的な解釈でもあります。これほどまでに自由でセンチメンタルで感情を強調し表現豊かに彼のように演奏すると、若い人には確かに古めかしく聞こえるかもしれません。でもその一方でティーレマンは鋭いテンポも敢えてとる。こういうこういうことはかつてはなかったことです。ティーレマンはですから冒険好きな保守派とも呼べます。
ヨアヒム・カイザー
それに対して、ティーレマンはこのように述べています。
問題は私のルバートがどれだけ意味を持っているかということです。どちらかといえばテンポの変動と名づけた方がいいのかもしれない。私は自分の好みで不確かなことを際立たせてみるのです。
クリスティアン・ティーレマン
ティーレマンとウィーンフィルの演奏は、力強く骨太の響き。確かに主題や提示部など、曲想が変わるごとに表情を変えていき、その前後でテンポも動かしています。
ドキュメンタリーではレナード・バーンスタインがウィーンフィルを指揮した1978年の「英雄」や、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した1971年のベルリンフィルとの演奏も少し含まれていますが、バーンスタインがウィーンフィルの香るような雅な響きを立たせつつドラマティックに演奏し、カラヤンが明るい音色でベルリンフィルと機能性高い演奏をおこなったのに対し、このティーレマンの演奏では骨太で微動だにしない英雄像が描かれている感じです。
第2楽章の「葬送行進曲」ではゆったりとしたテンポで悠然と進みます。死者の棺桶を運ぶ行進では、人はリズミカルには進まないだろう歩きが速くなったり遅くなったりする、という考えでティーレマンはこの第2楽章でも適宜テンポを揺らしています。
「英雄」が亡くなってからのその後を描く第3楽章のスケルツォ。ティーレマンはこの楽章を「スケルツォでは必然的に破壊が起こります。ベートーヴェンは最後に別の性格を与えようとしたのだと私は思うのです。交響曲が『悲劇』になってしまわないように」と語っています。
トレモロでゾクゾクとした怖さすら感じるティーレマンのスケルツォですが、不思議と管楽器が明るい音色で異色な組み合わせを出しています。そして第3楽章のトリオではウィンナホルンの柔らかい音色で魅了してくれますが再びのスケルツォでは暴風雨のように破壊へと迎い、第4楽章へとつながります。
第4楽章で印象的だったのはその出だし。弦のピチカートで始まるところで手探りな感じを出し、おどろおどろしく始めていくのです。主題がはっきり出てくるとティーレマンとウィーンフィルは自信を持って力強く進み、圧倒的なクライマックスを築きます。
交響曲第4番 変ロ長調 Op.60
交響曲第3番「英雄」と第5番「運命」の間にあって、あまり目立たない交響曲第4番ですが、かつてロベルト・シューマンはこの曲を「2人の北欧神話の巨人の間に挟まれたギリシアの乙女」と表現しました。ただ、私はこれにはちょっと違和感があって、「乙女」だとは思わないんですよね。不気味な序奏から始まり、ほとばしるような力強さがあり、明るい曲想なのですが独特のリズムが妙に耳に残る、一言では捉えどころが難しい曲だと思います。
ヨアヒム・カイザーとの対談で、ティーレマンは第1楽章の序奏について力説していました。交響曲第4番自体は変ロ長調の長調なのですが、序奏は変ロ短調。不気味さがあります。ピアノ・ソナタを含めてベートーヴェンの作品に変ロ短調の作品は無く、ティーレマンはだからこそこの序奏を印象深くじっくりと演奏していました。
また、対談では他にも明るい曲想になってもスタッカートがあることで執拗な音楽になるとか、タンタタンというリズムがあるためにテンポ・ルバートをしても無駄になってしまう(=イン・テンポで演奏することをベートーヴェンに要求されている感じがする)と語っていました。
交響曲第5番「運命」 ハ短調 Op.67
この演奏では、演奏前の指揮者入場時にティーレマンは飛び乗るように指揮台に上り、そのまま拍手が鳴り止まないうちに「ダダダダーン」と演奏を始めます。
他の曲では鳴り止むのを待ってから演奏をおこなっていたのですが、ここではまるで運命が突然訪れるかのように、唐突に始めます。
ベートーヴェンの交響曲を指揮するティーレマンで目立つ特徴は、下向きに指揮すること。
例えばこちらは「運命」のコーダ部に出てくる第1主題の「ダダダダーン」のモチーフを指揮しているところですが、1音、1音で足を屈めて手を下に下げています。「英雄」でもそうでしたが、ティーレマンは下向きに指揮することが多いのが印象的でした。
ティーレマンから生み出される音楽はとても骨太で力強く、ウィーンフィルの「雅」な個性は感じられません。ティーレマンの前におこなわれたサイモン・ラトル(2002年)では音が軽すぎましたが、最近のアンドリス・ネルソンス(2017-2019年)や、クラウディオ・アバド(1985-1988年)のベートーヴェン交響曲全集では、ウィーンフィルの特徴が活かされていました。それに比べると、このティーレマン盤はウィーンフィルらしくない演奏とも言えます。
収録されている対談では、「運命」の第1楽章がなぜ悲劇的な音楽で終わるか、についてティーレマンが独自の見解を述べています。
第1楽章では「暗いもの」に一時的に勝利させていますが、これはあくまでも段階的な勝利で、最終的には終楽章で希望が大勝利するようにするために敢えて悪が第1楽章を勝つようにしたのではないか、というのがティーレマンの見解でした。
なるほど。
交響曲第6番「田園」 ヘ長調 Op.68
ベートーヴェンの交響曲の中で最も物語性があるのが「田園」交響曲。作曲家自身が各楽章ごとに標題を付けていますし、音楽も田舎に着いたときの情景に合った「田園」的な曲想を持ちます。
第1楽章の展開部でヴァイオリンの高音がヴァイオリン1とヴァイオリン2で交互に演奏するところティーレマンは対談でこのように
(第1楽章の)展開部で興味深いのは高音のヴァイオリンが常に音を長く保っていることです。「ティー」と。濃密に弾かれているのでその保たれていた音が急にあちら側から聞こえるようになります。そして反対側でまた…。同じことをするのです。そのすぐ前に座って聞いていると本当にステレオ的効果です。これはそういう場所です。
クリスティアン・ティーレマン
楽譜で言うとこの辺りです。
ウィーンフィルは指揮者から見てヴァイオリン1が左手、ヴァイオリン2が右手に配置する伝統的な「対向配置」を取っていますが「田園」のここの部分は対向配置だからこそ左耳と右耳に交互に音が聞こえてステレオ的な効果が発揮されますね。
奇数番号の交響曲では骨太の演奏が目立ったティーレマンですが、この「田園」ではウィーンフィルの美音を活かして柔らかく演奏されていきます。音楽の流れは非常にゆっくり(langsam)ですが。
交響曲第7番 イ長調 Op.92
人気が高く、第4楽章の圧倒的なクライマックスで大成功に終わることの多い交響曲第7番について、ティーレマンはヨアヒム・カイザーとの対談でこう語っています。
『ポルシェが走るように』とでも言いましょうか。あるいはスマートに、と言いますか、そう指揮してしまう危険があるのです。そうなればだめですね。この作品にはこういう危険がある。
クリスティアン・ティーレマン
ティーレマンとウィーンフィルのベートーヴェン・チクルスで、私にとって最も素晴らしい演奏だったのがこの第7番。力強く生命が宿っているかのような演奏ですが、緩急が見事です。
例えば第1楽章の提示部の第1主題の提示の直前。テンポをぐっと落として、何かが生まれるかのような予兆を感じさせるように演奏を行い、主題に入るとテンポを元に戻してフルートが穏やかにテーマを奏でます。
第2楽章はアレグレットの名のとおり、「アンダンテ」ほど遅くはなく絶妙なテンポ。第1主題こそ穏やかに始まりますが、クレッシェンドからの75小節目のff (フォルティシモ)では、溜めたエネルギーを爆発させるかのようにはじけます。
第3楽章はプレストですが、ここで速く弾きすぎるとさらに第4楽章が壊れてしまい、いわゆる「ポルシェが走るよう」になってしまうため、テンポの手綱を引き締めているティーレマン。速くなりすぎないことで、第4楽章のフィナーレでクライマックスを迎えることに成功しています。
第4楽章では圧倒的なクライマックスで魅了しますが、コーダではこれまで以上の速いテンポで一気に弾ききります。指揮をするティーレマンも呼吸を止めているのか、苦しい顔をしています。
交響曲第8番 ヘ長調 Op.93
田園と同じヘ長調でのどかな曲想の第8番。こちらもティーレマンはゆったりとしたテンポでウィーンフィルから香るような響きを引き出しています。
またこの曲のドキュメンタリーでは、ティーレマンとウィーンフィルのリハーサルの映像も含まれていて、ピアニッシモを徹底したり、3連符の音の短さを正確にするような指示を出していました。
交響曲第9番「合唱付き」 ニ短調 Op.125
第九も骨太で力強い演奏ですが、全体的にテンポがゆったりとしていて、あまりメリハリが無いのです。テンポに変化を付けるところもあるのですが、例えば第1楽章の終盤の葬送行進曲風のところに入る前でぐっと遅くするなど、さらに遅くする変化を付けています。
巨大な渦が飲み込んでくる感じはしますが、情熱的なフレーズもナタのように切れ味も鈍い感じです。独唱もコントラルトの藤村実穂子はさすがの貫禄を見せていますが、ソプラノのアネッテ・ダッシュは絞り出すように歌っているので第九のソロは厳しかったのか、背伸びして歌っている感じがします。
まとめ
ドイツ音楽の重鎮、クリスティアン・ティーレマンとウィーンフィルによるベートーヴェンの交響曲全集。ウィーンフィルにとってはハンス・シュミット=イッセルシュテット、カール・ベーム、レナード・バーンスタイン、クラウディオ・アバド、サイモン・ラトル以来の6度目のベートーヴェン交響曲全集となりましたが、日本では評価がイマイチな印象でした。
私もCDで聴いただけだと古風な時代錯誤な演奏だなと感じたものですが、今回映像で演奏を見て、ドキュメンタリーも観ることでティーレマンが目指したベートーヴェンがようやく理解ができました。CDで聴くのではなくDVDかBlu-rayで観ることをオススメします。今までと違った発見が必ずあるはずです。
オススメ度
【交響曲、序曲】
指揮:クリスティアン・ティーレマン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:アネッテ・ダッシュ(第9番)
コントラルト:藤村実穂子(第9番)
テノール:ピョートル・ベチャワ(第9番)
バス:ゲオルク・ツェッペンフェルト(第9番)
ウィーン楽友協会合唱団(合唱指揮:ヨハネス・プリンツ、第9番)
録音:2008年12月(交響曲第1番、第2番、コリオラン序曲),
2009年3月(第3番、第4番)、
2009年11月(第7番、第8番、エグモント序曲),
2010年4月(第5番、第6番、第9番),
ウィーン楽友協会・大ホール(ライヴ)
【ミサ・ソレムニス】
指揮:クリスティアン・ティーレマン
シュターツカペレ・ドレスデン
ソプラノ:クラッシミラ・ストヤノヴァ
メゾ・ソプラノ:エリーナ・ガランチャ
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バス:フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ
ドレスデン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:パブロ・アサンテ)
録音:2010年2月13日, ゼンパー・オーパー(ライヴ)
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試聴
iTunesで試聴可能。
受賞
映像作品が2011年度の日本のレコードアカデミー賞の特別部門 ビデオ・ディスク「コンサート&ドキュメンタリー」を受賞。
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